月のベンチ -2ページ目

月のベンチ

両親の闘病記

15リットル
病院でのマックス
でも80%

血圧が低すぎる
体交もできない

病院なんか入れるんじゃなかった
何もかも私が踏ん張らなかったせい

ガンマグロブリンもルートとれないから入れられない
主治医はあれ以来来ない

筋注の抗生剤で敗血症が治るわけない




私は二度と病院なんか行かない

二度と医療は信じない

病気になってもそのまま逝く

母を見送ったらかねてからの約束どおり私も逝こう

酸素9リットル
人工呼吸器断った
心拍数130
呼吸数38

やっぱり病院の菌にやられたんだ
カンファで退院日決めるはずだったのに

抗生剤がむくみすぎて血管に入らないのが致命的

うちに連れて帰ってきれいにして看取りたかったんだよ

わたしは




そのために命削って頑張って来たんだよ!!!




今でこそ一般的に広まっている病名。
「統合失調症」

母が患った当時は医師でさえ診断がつかなかった

はじまりは「自己臭症」(当時はそんな病名さえなく、気にし過ぎ、頭がおかしいと医師に言われた)。

私がまだ16才のとき。

父も、母の過度に神経質な性格のせいだと見て見ぬ振りだったため、16の私が病院に付き添った。
以後、母の病院への付き添いは私だけがした。
兄は今もって母のこの病を理解していない。
母は兄には隠したがっていた。

が、母は病院に行くことを嫌がりだした。

母は父と自営業をしていたが、発症から引きこもるようになった。

状態には波があった。
ひどくなったのは、現在の家の一つ前に住んでいた家に引っ越してからだった。
いわゆる「ご近所トラブル」。
ボス的存在だった隣の主婦の標的にされたのだ。

‘付き合いが悪い’

それだけの理由で。


母は病気だったので、もちろん付き合いは悪い。
引きこもりがちだったから。
でも、そう言うわけには行かなかった。

父も兄も助けてくれなかった。

だから、私が父とあまり仲が良くなかったのは、仕方がないと思う。
父は父なりに頑張っていたのかもしれないが‥

私の二十代は、母の影響で引きこもりがちだった。
大学も、一度社会に出てから再チャレンジして入学した。

母の症状が少し軽減されたのは、今の家に越して来てから。
が、それも長くは続かず、次第に幻聴や被害妄想に悩まされるようになった。

そして
くも膜下発症。





言い訳かもしれないが、私の人間関係希薄な性分は、こうした家庭環境によるところもあると思う。






まあ、そんなことは他人には興味ないか‥