🛵。。。
(大津絵)
ビワイチの最終段階となりました。
彦根市の「あのベンチ」に居た時は13時30分くらい。そこから琵琶湖の東側を南下して守山市に突入。琵琶湖大橋通行料金10円を払って琵琶湖西側大津市内へ。行きたいところ3ヶ所(近江神宮、三井寺、石山寺)チョイスしてたけど時間的に1ヶ所、三井寺に立ち寄りました。
仁王門。
🛵は仁王門の横に停めさせてくれました。
この時点で、15時30分。彦根市出てからから2時間かかってますね。💦
円城寺(三井寺)。
お寺の正式名称は「園城寺」で、寺の霊泉が「天智」「天武」「持統」の三代天皇の産湯として使われたので、通称「御井(みい)の寺」=「三井寺」とも呼ばれるようになったと☝️
よく撮れないなぁ。。。
三井寺とは。
三井寺(正式には長等山園城寺)は古代最大の内乱・壬申の乱で敗れ自害した、大友皇子の子・大友与太王によって創建されました。大友与太王は、父を弔う為自身の田園城邑(じょうゆう)を寄進し、天武天皇より園城寺の名を与えられたとされています。
お参りして御朱印をいただきました。
弁慶の汁鍋
灌頂堂。
🐈
釈迦堂。
現在の三井寺の金堂は、豊臣秀吉の正室・北政所によって再建されたもの。本尊として天智天皇の念持仏とされる弥勒菩薩(秘仏)を安置しています。
堂前灯籠。
天智天皇が大化の改新で蘇我氏一族を誅し罪障消滅のため天皇が自らの左薬指を切り灯籠の台座下に納められたと伝えられている
なお、本尊弥勒菩薩は秘仏で公開されたことがなく、写真も存在しないとのこと。
石庭。
熊野権現社。
「弁慶の引き摺り鐘」。(三井寺初代の鐘)
この鐘は平将門の乱で功績をあげた田原藤太秀郷(藤原秀郷)が三上山(近江富士)の大ムカデを退治した際、琵琶湖の龍神からお礼として貰ったものと伝説があります。
その後比叡山との争いの中で、弁慶が奪って比叡山へ運び撞いてみると イノー、イノー(関西弁で帰りたいという意)と鳴ったので、 弁慶は怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまい、再び三井寺に戻されたものとされています。
その後比叡山との争いの中で、弁慶が奪って比叡山へ運び撞いてみると イノー、イノー(関西弁で帰りたいという意)と鳴ったので、 弁慶は怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまい、再び三井寺に戻されたものとされています。
「武士の献立」ロケ地
寺流の密教を伝承する道場。
see you again 👋