前回の続きです。


うーん、何でだろ?

2017年1月に、
稲盛哲学のイベントに参加して、
もー雷に撃たれたような衝撃があって、
一度も会った事のない稲盛哲学に惚れてしまったという感じかなあ。

そういう心の中が現実に現れたのかなあ?


稲盛哲学の『利他の心』に『心を磨く』ってのがあるんですけど、それも好きなんですよ~。

簡単に書くと
『利己的な自分もいるんだけど、
いて当たり前なんだけど、
日々反省をして、利他に近付ける』


私はそもそも能力も熱意も低いと思うし、
考え方もすぐに楽をしようと考えるし。

そうすると、現実もその様になるのかな。
よくへこたれる。


だから、心を磨きたいし、学びたい。

いや、ほんとは
お地蔵さんに手を合わせていた幼い頃の心に戻りたい。
全てを神様だと思ってた幼い頃、海空山川どんなに小さな草花にも心があると思っていた幼い頃のままでいたい。

大地に寝転んで空を見て幸せだなあって
感じてた幼い頃の自分が大好き。

いつの間にか、
そういう自分は隠れて行くよね~。
そういう大事な幸せから遠ざかってしまう。

幸せは、本当は結構シンプルなのかもなあ。

そういうのを思い出せて、
胸のモヤモヤが晴れたり
幸せを感じてる時があるからって、
今に止まらず学び続けよう。


必要な時は、自分の意見を言うのも大事。

自分の心はとても大事。
そして、人の心もとても大事。

だから、やっぱり、どうやって伝えるか、聞くかを学び続けよう。


でもたぶん、
先人の知恵は学べても、
答えなんか無いんだろうなあ。

失敗しながらも、
人と関わって学んで行くんだろうな。

どうやって幸せを感じられる様になったのかを伝えてみる事だって、人の役に立つのかは分からないけど、1つの実話としては成り立つかもと思うのです。はい_(^^;)ゞ