先日、リアル合同共鳴と称して、数人の方と直接お会いして共鳴をいたしました。
その共鳴での影響か、心身とも浄化が起きて、その日のことを書いた記事もアップせずにおりました。
その後の浄化のプロセスの中で、毎週金曜日に僕自身が受けている共鳴セッションにてまた理解が深まっていくという流れもあり、
また、ブログテーマ「ゼロ意識共鳴セッションにて」では、僕の個人セッションでの僕自身の感想の記録でもありますので、リアル合同共鳴に関しては必要な流れの部分だけ抜き出してアップいたします。
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(リアル合同共鳴にて)
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最後に、全体で共鳴を行いました。
場の、ここに存在することのその尊さが、尊さを超えて、もう 神々しさ とすら言えるほどで
実際にお会いしての会場の空間の中でのことでしたので、
こんなことが現実(現象)にありえるのか・・と、それはそれは静かに思うのでした。
並んで座っている一人一人が、まるで、神々のようで
神々の会合でも開かれているかのように感じられました。
見かけ上はただ座っているだけのことなのです。
(共鳴セッションにて)
リアル合同共鳴での流れで
神々しさ
存在のその奇跡、尊さ、それがもう 神々しさ とまでいえるほど
天国、エデンの園、高天原、極楽浄土は、このようにここにあったといわれるところの。
形ではなく、そのままにここにある「神々しさ」があらわになって
ここは、すべては、神々の住まう場所と呼ばれた
存在そのものがまさにそうであるから。
アイコンタクト
存在そのものの安心感・落ち着き
安心感の海とでもいおうか
ただ存在以外にない
どんなに動いても動かぬままに
存在そのものだけがある
ハート
なんだかほけっとしており、マインドも生じておりつつ
そして、ただ在るのです
空
僕はゼロの在り方と呼んでいる位置
個人的行為者が動いていない
もっともなんでもない時の
ここはまったく違和感のないところ
本来の場所
立場をかえて
この空においては、神々しさも ただ空である から自然に顕れたもの
神々しさですら、空のほんのひとつの顕れ
ここは、違和感なく、まったくなによりも自然で、ずっとあるもの
何も重ねることなく、まったく新しく、空っぽで在り続け、すべてを包むもの
この時、あえて、形の上で、言わせていただけるなら、
ただこれに携われているだけで、これ以上望むことはないと なんの迷いもなく言えるのです。
この空の前では、あれやこれやは、本当に小さく、無いに等しく、何も起こっていない。
ただ、ただ、在るだけで十分なのでした。
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