ああ、ぼくが大人だったらいいのに | ホームホスピス われもこう

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熊本にある介護施設「ホームホスピス われもこう」のブログです。

時は人間の記憶を忘却のかなたに押しやってしまいます。でも私たちはそれに抗わなければ、過去の経験を未来のための糧にすることはできません。




2011311日の東北日本大震災と原子力発電所事故は私たち自身が決して忘れてはならない経験であると同時に、わたしたちの子孫にもそれを伝えていかなければならない経験です。私はそれを経験していないという人がいるかもしれませんが、同じ日本列島に住む人間として経験しているのです。あの惨事を見聞きして想像力をはたらかせたとき、あなたの目に涙が浮かんできませんでしたか。




この震災よりも遡ること20年前の1993年、阪神淡路大地震が発生しました。この震災では数千人の方々がかけがえのない命を落としました。けれども、時の経過とともに、この記憶は次第に薄れつつあります。人によってはこの記憶は忘却の彼方に押し流したい記憶かもしれませんが、押し流そうと思っても惨事の当事者になった人にとっては、そう簡単に押し流せない記憶でもあるのです。




新聞各紙はあのときの被災者の様子を詳細に報道してくれました。私はそのなかに神戸で被災した大川君の記事を見つけました。大川君は当時小学生でしたが、ともに被災した両親を亡くし、震災孤児になってしまいました。あの時の大川君は今何歳になったでしょうか。元気にたくましく生きてくれているでしょうか。彼にとっては、忘れようとしても両親の死に遭遇した経験は忘れがたい記憶として残り続けていることでしょう。




大川君は両親の死を知ったとき、こうつぶやいたそうです。「ああ、大人だったらいいのに。」私はこの短い言葉のなかにたくさんの意味が込められていると思います。震災孤児になってしまった自分自身の将来への不安が込められています。そしてまた、「ぼくがもし大人だったら、お父さんやお母さんを助け出せていたかもしれない。」という気持ちも。自分だけが助かって両親を助けられなかった罪悪感とまではいきませんが、助けられなかった後悔の気持ちがないとは言えないように思われます。




しかしある不幸が、その人を最後の最後まで不幸にしてしまう、とは限らないのです。不幸を試練だと理解することができれば、その経験は生きる力に転じることもできます。私は子どものころある古老から聞きました。「どん底に落ちてみなさい、そこに動かない大地があることがわかる、わかれば後は光を求めて上に向かって進めばよい。」言葉通りを再現できませんが、意味としては今記したとおりです。不幸を不幸としてではなく「不幸は試練だ」という意味にとらえれば、震災孤児、大川君は力強く生き抜いてゆく可能性を秘めているのでした。ただそれには周りの大人たちのだれか一人でもいい、その人が大川君の耳元で「きみのこと、いつでも見守っているからね。」とささやいて、ともに歩んでゆく気持ちを伝える必要があるのではないでしょうか。           

                                      (南風)