ブルマンの神話
 1936年12月30日は日本に初めてジャマイカ産ブルーマウンテンが入荷した記念日である。
500㎏のコーヒー豆がロンドン経由で横浜港に入港した。
今のように焙煎はほとんど話題にはなっていないが、このブルマンを焙煎した人物がカフェ・パウリスタ(神戸)の有田証太郎氏であることはほとんど知られていない。
 この頃すでにイギリスはコーヒー農園を紅茶栽培に転換していたが、ジャマイカ、ウガンダ、ケニアなど限定された植民地でコーヒー栽培を継続していた。ジャマイカでは1730年から高品質のコーヒー栽培を継続していた。
 日本には1953年からジャマイカ産コーヒー豆の本格輸入が始まった。宣伝文句が「英国王室御用達」がうたわれていたが、その時の数量はわずか1樽に過ぎなかった。
この時からブルマン神話が始まったが、ジャマイカブルーマウンテン地区で生産されたコーヒー豆だけで、日本国内の需要を満たすことは不可能であった。そのため、現実にはブルマンに他の豆を過剰に混ぜた偽装品が市場に出回ることとなる。
英国御用達の文句も、英国植民地時代に英国王室所有の農園が存在していたこととか、パリやロンドンの品評会で最高級品と評価され事などを材料に、日本での創作の可能性が高いが、1936年「TEA$COFFEE」主幹のウイリアム・H・ユーカーズ氏に「総てのコーヒーの良さを併せ持った」と品質を誇るものと紹介されたことは事実である。
その後日本企業から現地精製業者、栽培業者への投資が始まった。
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