文章を書くことでお金をいただけるようになったので

めっきりブログから遠ざかってしまいました。

 

ツイッターはよく書き込みをしています。

 

ツイッターへの投稿は、私にとって長文原稿を書く前に必要な儀式になっています。

頭の中に思い浮かんでいることを言葉に変換するために使う脳神経の回路を開く作業といえば良いか、

文章をつづる作業をする前の脳の準備体操といえばいいか、

朝、全国ニュースと沖縄関係の記事にざっと目を通して、その時に感じたことを一気に書くようにしています。

何でもいいので、ツイッターに投稿していると、だんだん著名原稿を書く心の準備が整ってくるんです。

 

「著名で何かを書く」というのは腹をくくらないと書けないものなんです。

 

バカなことを考えていたら、「バカなこと」をそのまま文字に書き起こして、それを提出するしかないのです。

その「バカな内容の記事」が雑誌や新聞に掲載されて……となると「あいつバカだな」という烙印を押されます。

 

覚悟して、自分の能力の無さも自覚した上で、それでも自分の名前をだして、著名記事を書きます。

いわば恥をかきつづける作業です。

嫌でも、これを続けていかないと文章は上手くなりません。

 

私の心の中には、どうしても世の中の人に伝えたいこと、理解してもらいたいことがぎっしりと詰まっています。

これらをきちんと世の中の人に伝えることができるようになるまでずっと書くことは止めないし

(止めたくても止まらないだろうな)というのが私の実感です。

 

集中し始めると一心不乱で食事もしなくなるし寝るのも忘れるので、

身近な人達は恐怖を感じるようで、また集中してしまうと

話しかけられても全く気が付かないし、お茶を置かれても気が付かないので、身近な人を激怒させてしまい、

集中することが罪悪であるかのように叩かれるので、心が動揺して何も書けなくなります。

 

が、その動揺が激しすぎると、「書くこと」でしか心の動揺を収める術をしらない私は、

猛烈に文章が書きたくなってしまって、それを繰り返しているうちに、

また「私には伝えたい思いがある。やらねば」という使命感がむくむくと沸いてきて、

やっと著名原稿を書くための心の準備が整ってきます。

 

フィクションを書くと、自分の心や考えに、都合の良いウソが紛れ込んでしまうことがあるので、

事実を淡々と書いたり、感じたこと考えたことを正直に書いてみて、

後日自分の書いたものを読んで、はたして自分の考えが正しいのか、方向性はあってるかを自分でジャッジします。

書いてないと頭の中が整理出来ないので、ダラダラと書き続けます。

 

それ以外の生き方を私は知りません。