お久しぶりです。
お変わりありませんか?僕の方はというとすっかり無職生活にも落ち着きをみせ相変わらずボンヤリと過ごしています。
あ、報告していませんでしたね。
現在、前のオタクのデパート的仕事を辞め求職活動中です。
とゆうか、まずオタクのデパート的仕事をしていることも報告してなかったかもしれません。
まぁいいですよね。その辺は。
今日は昼間に「残り全部、バケーション」という伊坂幸太郎の本を読みました。
あまり活字を得意としない僕でもスラスラと読め面白かったのですが、その後夕食前の家族団らんの時間にて母からの
「ケイスケ氏、今日はどのような1日にござったか?」
という質問を受け、その後の会話から少し思い悩む事が浮かびました。
以下その会話です。
「ケイスケ氏、今日はどのような1日にござったか?」
「ハッ!母上、本日は拙者昼前に目を覚まし、それからは残り全部、バケーションという伊坂幸太郎先生の著書を拝読つかまつりました。」
「左様でござるか、その本はどうでござったか?ニンニン。」
「えっとねー、あのねー、あのねー、すっごく面白かったよ!あのねー、なんかねー、会話とかー、なんかねー、面白くてねー、えっとねー、面白かったっ!!」
「ほほう、ニンニン!手裏剣シュッシュッシュー!」
とまあ、確かこんな感じの会話だったと思います。
ここで、一体何を思い悩む事があるのかというと、確かに本は面白かった。
面白いと感じたのですが自分がなんでこの作品をそう思ったのか。そこを全く把握してなかった事が問題だと思うのです。
僕は評論家になりたい訳でもなく、読書も普通に娯楽の一環だと捉えているのですが、作品の批評を求められた時にキチンと自分なりの解釈を得ていなかった事に気がつき、
なんだか一冊の本を読み終えた、その時間が、行為が、無駄なモノになったような、そんな気分になりました。
一瞬だけ頭の中に情報をいれて、そしてすぐに他の情報と混ぜて薄めているような、
まるで黒板のように授業がおわると頭の中の日直がガンガンに文字を消していくので、キチンとノートをとる習慣のない僕はすぐに色んな事を忘れてしまうって、そんな感じです。
なんかしら、残したいよね。
だから、今後は面白いと思った時はなんで面白いと思ったのか、つまらないと思った時はなんでつまらないと思ったのか、その辺をキチンとノートにとっていきたいなと思いました。
まぁそこで、実際にノートをとるような人間じゃないですけど、なんとなーく頭の中で反芻していこうかなーと。
そんな考えの中さきほどタランティーノの撮ったジャンゴという映画を今更ながら見ていたんですが、またこれが面白くてね
。
じゃあなんで面白かったのかって考えると、まぁネタバレとか評論家気取り事はしたくないですし、第一にもう結構長い文章書いてめんどくさくなってるんで一言でまとめると
カタルシス
ですかね。
タランティーノは毎度その辺の作り方がうまいなーっと思いました。
暗いモヤモヤする映画も好きですが、やっぱり鑑賞後にスッキリした気分になる映画はいいですね。
それじゃあもう朝ですけど、おやすみなさい。
グッナイ
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