昨日マザーのblogを読み「親子」について少し考えた



親と子は自覚なしに「親」と「子」として関係するのではなく、「親子」として関係が完了してしまってることが多い。

だから「親子」ではなく「親」と「子」として考えるべき問題の前に立つとその関係が揺り動かされる

そうすると「親子」という関係が障害となるが、絶対的な「親子観」を持っている以上、衝突はさけられなくなる。

「絶対的な親子観」は対等な関係ではなく、対等な関係でない場での力の行使である以上その衝突は「親の愛」ではなく、暴力となる。

それは、目に見える暴力とは限らない。

私自身のそだった家庭はとてもアットホームで愛に溢れている。
かといって「暴力」が存在しないわけではないと気付いた。

親が子で自身の幸せを実現してはいけないし、逆も然り。
しかし関係がいまだ「親子」のままでは、それは頻繁に行われている。
「親子」という目隠しをお互いされているため「親」がみえず「子」がみえない。

その状況で「親」を作れるのは「子」でしかない。
「子」は自信をもって親を否定し踏み付け、超えて行く。


否定され踏み付けられ超えられて、その現実を受け入れてはじめて「親」になる。そして「親」と「子」の関係となる。

そして、お互いが振り向き顔を合わせて親子という関係が完了する。

わたしは両親を愛しているから「親子」ごっこは卒業する。
大好きな両親だからドキドキ
わたしは大好きな両親と親子になろうと決めたべーっだ!

そんなことを考えながら寝て
今朝本棚からエントリーされたのはコレ得意げ

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やっとマザー蔵書を読み始められるw

親子間の問題は「親子」が震源なのだなぁと思う。

愛と支配は別物。

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