こんにちは、祐尚です。 本格的な冬がやって来ました。用意は万全にお願いします。

さて、今日は漢文です。中国の帝と達磨大師の問答より、


達磨初見武帝 帝問 起寺度僧 有何功徳

磨云く 無功徳。


訳:達磨大師が初めて帝に会った。 帝が達磨大師に質問をした。


『寺もいっぱい作ったし、僧も輩出した、よってどのような功徳が有るのか』

大師が言いました、『功徳無し』。

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私は今まで多くの寺院を作り、経文を写し、僧侶を供養してきた。これにはどんな功徳が

あるだろうか。

実ははじめから答えを用意してきた帝を達磨大師が思い上がりとひけらかしを一蹴した。

この功徳無しは現代の我々でも通じる言葉だ。


夫婦間の会話でも単語を変えれば旦那の思い上がりが見えて来ます。

恋愛中の男女でも、単語をかえれば彼女も達磨大師と同じ事を言っています。

会社の社長も権力者も単語を変えれば同等もしくは威嚇、恫喝まがいも同じになる。

知足=自分を知る、おごり高ぶる時、人は増長するもんだ。

こんな人、いっぱい、日本でもいるじゃないか。

人が離れる、心から離れるんだ。

碧眼録より考察。


不動明王の真言

ノウマク サーマンダ バーザラダン センダマ カロシャダ ソハタヤ ウンタラタ カンマン

21回、、、、、、、、合掌。