夏の終わり | 寄り道だらけの日々〜いつも心に音楽を〜

寄り道だらけの日々〜いつも心に音楽を〜

心惹かれる音楽との出会い、日々のことなど
気ままに書いています。
クラシック音楽が大好き。
ピアニスト角野隼斗さんの
垣根を越えた類い稀な自由な音楽性に魅了させられています。



こんばんは。

9月になりました。
吹く風も涼しくなり、虫の声が聞こえてきます。

夏が終わりですね。




今年の夏は特に長かったように感じます。

我が家の子供たちも大学生以外は明日から新学期。

やっと秋が来ます。



こちらともずいぶんご無沙汰しました。

結弦さんのことからもずいぶん離れていました。






今日はわたくしごとです。

自分の心の整理もかねて、
こちらでいつも親しくさせていただいているみなさんに聞いていただきたくて、
書きたいと思います。

ただし楽しい話ではありませんので、
ごめんなさい。



この前のブログを書いてから

お盆が過ぎ、夏も終わりに近い頃、




父を見送りました。


体調を崩しはじめてから

考えてみれば、

13年以上になりますが、



重度のアルコール依存との戦い、
脳出血、様々な合併症、認知症


ここ4年は施設と病院を行ったり来たりしていました。

6人の子育てをしながらの看護と介護は

きれいごとでは済まないこともたくさんあった日々でした。


3年前の父の日に抱えきれない
当時の苦しい思いをここで綴ったことを思い出しました。


近年は療養しながらも
車椅子にはなんとか座り、
認知症が進み記憶はおぼつかないことも多々ありながらだった父が、

6月頃から眠っている時間が増え、
だんだんと眼を覚まさなくなりました。

食事も口からできなくなり、

お盆頃の猛暑が一段落した頃、
亡くなりました。

77才、枯れるような穏やかな旅立ちでした。



30年前、未成年の飲酒無免許の無謀運転の車に激突された事故で母を亡くし、
一緒に乗っていながら、自分が運転していなかったこと。

たられば、のないのがこの世の常ですが
それでも、
父の生涯を通じて、母への深い後悔と
寂しさがあったように思います。



ほとんど眠り続けた2カ月間。
目を覚まし、
言葉を発することはなかったけれど、
日々弱っていく父を

子供たちも代わる代わる見舞い、

時には枕元で賑やかに過ごし、

「じいちゃん、今日は呼んだら眼を少し開けたよ。」
と父を語りあう。

そんな穏やかな時間を持てたことは、
寝たきりの父がわたしたちに与えてくれた大切な時間だと思っています。


父と過ごした先の見えない困難な日々に
優しい気持ちを失ったことも
何度となくありました。

けれど、いよいよ見送りが近くなってくると、
様々な感情が一周して、
何もない穏やかな気持ちになっている自分に気づきました。

日々弱っていき、もう回復は望めないながらも、
命ある限り生きていくしかない父に

「お父さん、生きることも死ぬこともたいへんやね」

何度もそう語りかけました。


なすすべもなく寝ている父を見ながら、

わたしが生まれた時ね、
わたしが死んだ時には、

などと

生まれること、死ぬことを人は自分の経験として
持つことができないこと。
どんなに願っても、
いのちの不思議にまかせるしかないことを
実感しています。



父が亡くなり、
葬儀の準備、後片付け、諸々の手続きなどに追われながらも、

駆けつけた妹や、親しかった方々
子供たちとたくさん父の話をしました。

お棺には
じいちゃんが乗ってほとけさまの国へ行けるように
と娘たちは折り鶴と
息子は紙飛行機を入れてくれました。

大好きだったお酒は
もう様々な欲求から自由になったのだから
いらないかなと思って
お供えだけしました。



子供の頃は
わたしはお父さん子でした。

クラシック音楽が好きで、本が好きで、美味しいもの好きで、お酒が三度のご飯より何より好き、たいへんに物知りでたくさんのことを教えてくれました。
導火線が短くて、飲み込みが悪いとすぐ怒ったりする一方、母と仲が良くまた娘に甘くて。
母や、わたしや妹の洋服を買いに行くのも恥ずかしがらず、どこまでもついてきた、
楽しかった日々、懐かしいお父さんだったころを久しぶりに思い出しました。


父が亡くなり、
そういえばここにいろいろしまっていたはずと、
父の部屋小さな引き出しを開けると、

自分の亡くなった時につけて欲しい法名を記した紙と、
自分の遺影にと使うようにとの写真が数枚、
(いったいいつ準備したのか驚きました)

そして、まだ年若い頃の母、わたしや妹の幼い頃の写真が出てきました。
ああ、やはりお父さんだったのだと、
胸がいっぱいになりました。



この世に生きるという様々な苦しみから
解き放たれて、

いまは美しいほとけさまとなり、
懐かしい母や、
12年前亡くなった仲の良かった弟である叔父の待つ
お浄土(父は浄土真宗の信徒でありましたから)
へ還った父。

若くして向こうへ行った母には

「お父さん、老けてすっかりおじいさんになったねぇ。」
となどと言われていそうですが笑。


最後に父と何を話したかと考えて見れば、
ある日面会に行ったわたしが
「お父さん、これ誰かわかる?」
と自分を指差して聞いてみたところ、
いつもは
「わからん、わからん」と不機嫌になるのに、

「おまえ、わかるに決まっとるやろが」
と怒り出したのでした。


それからほんの数日で眠り出し起きなかった父でしたので、
いま思えばそれが最後に交わした言葉でした。


こうして、
今現実に父がいない日がやってきて
これまでは

「父のことで
わたしに出来ることはすべてやってきた」

「だから何も悔いはない」と

そう思っていたのが

「まだ何か出来ることがあったのかも」
「もうすこしあの時」

そんな思いが押し寄せてきます。


葬儀のバタバタだけでなく
そうしたこともあり、
しばらくの間、

結弦さんのことも何も考えられず、
アメブロのアプリも一時消していました。
友達が送ってくれた動画で見た24時間の演技も
入って来ませんでした。


ようやく少し落ち着いてきた昨日の夜中、

24時間テレビを
見ました。


ユーミンの歌う


「春よまだ見ぬ春」


全盛期のユーミンの歌声とは違う
不安定にも感じる
その歌声に
涙が出て仕方有りませんでした

ユーミン自身もそれをわかっているでしょうが

今の自分で精一杯語りかけるように

「春よ、まだ見ぬ春」

と歌ってくれる。

この世に変わらないものは何一つないこと

それでも前を向いてけなげに生きていくこと。



そして

今この時限りの、今生きているからこその

一期一会の

美しい美しい結弦さんの演技。

心の中で、何かがコトンと動いたような気がしました。







散る故にこそ花は美しい


「花なれば散るをさだめの椿哉」



かつて母との別れにそう詠んだ祖父の心が少しはわかるようになったかな?


さあ、

もう前を向いて

今生かされて生きる命を大切に

父や母の待つところへ行くまで

懸命に歩いていきたいと思います。


笑顔で寄り道しながら、素敵な夢みたり
楽しみながらね。



寂しいけど、
わたしは元気です。



この春に撮ったサクラ🌸


長々と自分語りをしてしまいました。
読んでいただきありがとうございます。



次からはまた笑顔で幸せな気持ちで、
ここに書けたらいいなと思います。

今後ともよろしくお願いします。




よい秋になりますように♡






亡き父が残したたくさんの楽譜たちの一部。
戦後のもののない時代、独学で学校のピアノで練習したとかですごく上手でした。



かれん



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