奇跡的な日常と、集められた仲間たち |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

信じられないようなことが、この世には起きる。
ほとんど奇跡としか言いようがないことが。
たとえば――。
2005年9月18日。
私は共同創設者の喜多以外で、初めてのスタッフをZEPHYRに迎え入れた。
薫由記である。
あとになって、このときの私と薫のホロスコープを調べてみると、判明したことがあった(このことは一度、過去に記事にしたことがありますが)。
それは、お互いに完全に共通した星を、ほとんど誤差がない日時で持っていたことである。
もっと具体的に言うと、それは太陽と月のトリン(120°の幸運角配置)である。
占星術のアスペクト(座相=地球を中心に見た星の角度対置)の中でも、もっとも調和がとれたもので、とくに太陽と月で構成されるそれは、職業や人間関係の中でも非常に幸運で、運命的な出逢いをもたらすものだ。
角度と言っても、多少の誤差を許容する。
この場合、前後ひと月強はこの星の影響下にあったことは間違いない。
しかし、この星がまったく誤差なく、正確な配置になるときというのが、当然ある。

それが薫の場合、9月17日の23時だった。
私の場合、9月18日の午前1時だった。

この差は1時間しかない。
そして、まさにこの星の正確な、宇宙的な精妙な配置の下で、
「ZEPHYRに入って、いっしょにやらない?」
「やる」
という会話がなされた(会話が成されたのは、たぶん18日の15~16時あたりではないかと思う)。

同じ星の配置が、1時間の誤差で起きる、そんな二人が同じ職場でたまたま顔を突き合わせているというのも、奇跡的な出来事だと思う。本当に天文学的な確率で、計算式など私みたいな数学の素人には想像もできない。
たぶん地球を周回している人工衛星に、降ってきた隕石が衝突するくらいの確率だと思う。
これはあながち誇張でもないと思う。
地球には六十数億の人間がいるのだ。
日本という一角に絞っても、自分のまわりにそういう人間が居合わせるというのは、まずあり得ないはずなのだ。

この度、ZEPHYRは組織的なものも含め、大きな改変の時期を迎えた。
私が求めたのは、スタッフの意識的な成長と改革だったが、この時期にZEPHYRにいるスタッフは、いったいどんな星の配置だったのだろう、と、ふと占星術師の好奇心から調べてみた。

すると、なんと。
薫には再び、太陽と月の120°が巡ってきていた。

これはまさに彼女が入会後、きっちり第二段階を迎えたことを示している。
「こんな馬鹿みたいな、うまくできた話があるのか……」
ホロスコープを見て、ため息が漏れた。

紫月は2007年5月15日のZEPHYRへの参入だが、この話し合いが行われたとき、彼のホロスコープ上では占星術上もっとも幸運といわれる、グランドトリンが生じていた。
しかも、それには小説(水星)と共同作業(7ハウス)という意味が込められていた。
そして、今年の彼の進行太陽のサビアンシンボルは、「キャラバン車」というところにさしかかろうとしている。
これは、まさに共同作業に関わる配置なのだ。
彼にもいい意味での大きな変化が起きようとしている。
重要なポイントも、数ヶ月後に迫っている。

あとから加入しただけあって、どうやら彼の活躍は今後らしいと分かる。
それも、他との関わりの中で、ちゃんと明示されているところがすごい。

そして、新会員の神奈女凛。
これを調べてみて、さらに驚嘆した。
彼女の正式入会日は、昨日、3月23日だ。
彼女のホロスコープの進行太陽(生まれたときの太陽が歳月と共に動いていったもの)が、まさにこの日、星座の境界をまたいでいたのだ。
進行太陽が星座の境界をまたぐというのは、30年に1回しかない(進行太陽は1年に1度進む。そして一つの星座は30度だから)。
ZEPHYRへの参入が、そのまたいだというのなら、まだ分かる。
しかし、実際にはまたぐというのは、30年=365×23+366×7(閏年が7回あるとして)=10957日に1日しかないのだ(当然)。
全人生の中でも、30年というのは、非常に大きな節目だ。
その倍で、還暦なのだ。
彼女の太陽が、ある星座にイングレス(侵入)する日に、私は彼女と会い、話し合い、ZEPHYRへの入会を決定づけた。
しかも、その太陽のサビアンシンボルは「船で船乗りが古い旗を降ろし、新しい旗を掲げる」だ。そのサビアンシンボルには、個人よりも集団に帰属し、力を発揮するという意味がある。
それに「新しい旗を掲げる」。
たしかに彼女にとっては、ZEPHYRはまったく新しい旗に違いない。

私は別に狙って、こういうことをしていない。神仏に誓ってもいい。
だいたい、狙ってもこううまくいくはずがない。その日に会えたのだって、本当にたまたまとしか思えない。
私は一昨日の夜、急に思い立って、神奈女に会うことにした。
それがこういう日だった?

そもそも思い返せば、神奈女との最初の接触は、やはり2005年で、ZEPHYRの創立時期にも近い、8月19日か20日あたりだった。
薫の迎え入れる直前で、このときすでに私の太陽と月は120°になっていた。やはり、非常に重要な時期に知り合っているのだ。
その後、神奈女との接触は断続的にあったが、その当時の彼女のままだったら、ZEPHYRへの参入はあり得なかったろう。しかし、この1~2年のうちに彼女は急速に変わった。
まるで無意識に、ZEPHYRへの道を辿るように。

もう一つ、ついでに記しておこう。
この二人の女性、薫と神奈女は、誕生日が一日しか違わない。
生まれ年は違うが(このことには、しばらく前に気づいていた)。
誕生日が近いからといって、かならずしもこういう偶然は起きない。いや、99.9%、起きない。確率論的には。

しかし、あまりにも奇跡的だ。
逆にいうと、その星の示すところは、ZEPHYRの活動は無意味で、実態のないものなどではなく、これからきちんと成果を出していけるということなのだろう。
そう思うと、私も嬉しくなった。
占星術の効能は、本当はこんなところにあるのだ。