期待を手放すコツ |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

運命の逆転法について、fannyさんからのコメントで

意思を持って行動することと期待の放棄の境目が難しいです。何かコツのようなものがありますか?

というお問い合わせをいただきました。


これ、たしかに結構、微妙に思える問題です。

実践してみようと思われる方でも、ここで引っかかる方もいらっしゃるかもしれません。

なので、今日はこれについて、私なりの意見を経験も含めて述べさせて頂きますね。



自分の思うようになってほしいと人は願いますし、こだわります。

愛や成功や収入や学業や、その他もろもろ。
無数の願いと執着が私たちにはあります。

しかし、この世の中は思い通りにならない世界です。

じつはそこにはもともと大きな食い違いがあるのです(一見)。

死後の世界、私たちが本来の魂だけの姿になった世界は、思うことは即実現する世界です。
これは多くの霊能力者の方が同じような見解を述べておられますし、生まれ変わりの研究でもそのようなことが報告されています。

だから魂がこの世に生まれてくる本当の理由の一つは、思い通りにならないことを経験するという前提があったりします。

すごくわかりやすくいうと、何も苦労をしないでいい世界でいるのだから、たまには苦労してみたいというのがこの世です。

これを読まれる方の中には、きっと「そんなお気軽な苦労じゃないよ!」とお怒りになる方がいらっしゃるかもしれません。

その点では、私も渦中にある時はお気軽なものではありませんでした。

それも含めての魂の計画だと、私は理解しております。


前提として、思い通りにならない経験をすることがあるのですから、自分の出世だろうが、子供の受験だろうが、想い描く結婚だろうが、なにもかもすべてが満たされることの方がはるかに珍しく、人はそのどこか、あるいは複数で困難な状況を経験するようにできているわけです。

もともと。


そして、これはホロスコープを拝見すると、明瞭に出ていることが圧倒的に多いのですが、その人がこだわってこだわって、頑張りたくなるポイントというのは、それだけ比重が大きな部分で、だからこそうまく循環しなくなっていることも多いのです。

たとえば作家になりたいという人がいるとします。

その人のチャートでは、その部分の暗示というはやはり何らかの形で表示されているのですが、いろんな賞に応募し続けて、どうにもうまく成果が出せない、ということが続いてしまうと、よけいに考えるようになります。

「テーマが悪かったのか」とか「いまどきの風潮じゃなかったのか」とか「登場人物の造形に落ち度があったか」とか「ストーリーに新味がなかったか」とか。

考えることは無数にあります。審査に当たっている先生の好むようなものを、とか考えることすらあるでしょう。

またうまく行っている人の本を読んだりします。

そうして目先や小手先の何かを変えることや成功例のうま味を取り入れることなどで、対処しようとします。

しかし、多くの場合、このような取り組みをすればするほど、逆に自分を失ってしまって、良い作品から遠ざかってしまうのです。


他の仕事や人間関係などについても、悩んでおられる方というのは、その方なりの精いっぱいの取り組みをされておられます。
必死に。

こういった方はすでに、大変な努力をされているわけで、その行動にはある種の慣性の法則が働いています。

動いている車が勝手に進む力ですね。

たとえば小説を書くという行為自体、もう意識する必要さえなく、書くこと自体が日常になっている。

そのようなケースでは、逆転法を駆使して、「執着を捨て去ってしまう」「期待を放棄する」ことを行っても、その作業自体が止まることはほとんどありません。

むしろ心が空っぽになって楽になることで、執筆作業そのものがすごく楽しく、良いものになっていくのです。



もう一つ、例を挙げさせて頂くと。

たとえば私が日常にやっている鑑定ですが。

これも空っぽのほうが良いのです。

ちょっと前に、私が以前の鑑定内容を見事なくらい忘れてしまうということを書いたことがあります。

その鑑定が終わってすぐでさえ、「あれ? 何の話だったかな」というくらい、忘れているのです。


これは鑑定作業そのもの、ホロスコープの中やタロットの絵札の中に没入しているから起きる現象なのですが、このとき私は「良い鑑定をしよう」ということを考えていません。

鑑定をするということは、私にとっては仕事なので、それは集中してやるのです。

ところが。
じつは自分がなくなればなくなるほど、結果的に良い鑑定ができたりするのです。

自分がそこにいてあれこれ考えていると、よろしくないわけです。

ただ、タロットの意味とかチャートの構造や結びつきについて、考えてはいます。

それはほとんど自動的な作業です。これが慣性のようなものです。

ただ、鑑定しながら、その裏側でこっそり「うまく読めなかったらどうしよう」とか「鑑定士として良い印象を与えよう」とか、そんな余計なことを考えていない。
そのために「良い鑑定」をしようとも考えていない。

この雑念的な思考の出所は、エゴです。

良い鑑定というのは結果的についてくるもの。

最初から結果を得ようと考えていない。


ここがポイントです。

私も人間なので、マシーンのように機能はしません。
雑念が入ることもあります。

この点はいつも精進です。



こういったことをいろんなことに置き換えて考えてみてください。

たとえば良い伴侶を得たい、結婚したいという方のケース。

これまでいろんな努力をされてきた。

誰しもそうなのですが、ここにすでに結果を求めるということが起きていることが多いのです。

婚活はすれば良いと思うのです。

普通に。


ただ結果を求めるというエゴから発した期待や執着が介在すると、これがうまく循環しにくい。

ここですべきなのは、自分を空っぽにして、ただ相手を見るということだと思います。

たとえば婚活パーティみたいなものに出席するのは全然いいわけですが、自分にふさわしい伴侶が存在するのなら、自動的にそれは見つかるものです。

その時には存在していないかもしれません。

存在するのなら自分と結ばれる。

そのような自分の人生への信頼を抱いて良いと思います。

そのような信頼も、言えば執着を手放すコツになります。

魂の計画は自分が立てているので、自分にとってすべてが意味のあるものになっているはずです。
出会いの時も、悲しみの時も、喜びの時も。

それは季節がめぐって花が咲くように、当たり前に起きるのだと考えてみるのも良いでしょう。


魂の計画という理解を持てば、それは容易になります。

だからこの理解はとても重要なのです。


そして婚活パーティに出席したならば、よけいなことは考えず、しっかりとお相手を一人一人見ることです。
集中すればいいと思います。

集中するというのは、私がチャートに集中するのと同じです。

それで自分の全身で、相手の言葉や存在を感じ取ってみればいい。

また自分と相手の間に湧き起るものを感じ取るように集中すればいい。


集中すれば雑念はなくなります。

よけいな期待や執着が入ってくる余地は少なくなります。


この感じることと、エゴで考えることの違いが大きいと、私は思います。

私はチャートを見るときに考えていると申し上げましたが、すでに占星術の多くの知識を備えた状態で取り組んでいますので、あれこれ考えるより、むしろチャートから感じるということの方に近いのです。



多少なりとも伝わりましたでしょうか?

しようと思うことやすべきことは普通にすれば良いのです。


でも、そのとき自分の中を空っぽにしたほうがいい。
そのための私なりの執着や期待を捨てるコツ。

それは、

自分の人生に対する信頼を持つこと。(魂の計画の観点から)

その時自分が向き合っているものに集中し、感じること。



ということになります。




ヤオヨロズ第一部(プロローグ~4章)、FC2ブログにおいて一括公開中。
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