今日は父の命日です。

よく「亡くなったのがうるう年じゃなくてよかった」なんて母といってましたけど...

うるう年の2/29にお亡くなりになった場合は28日を命日にするんでしょうかね??



父の死までに

弟が

祖母が

友人が

叔父や叔母が

天国に旅たつのを見送ったけれど、


本当に悲しくて悲しくて

あんなに人の目をはばからずに泣いた事はなかったんじゃないかなあ


まあ、もともとすんごい泣き虫なんだけど

そのときのことを友人が言うには

「ボロボロでどうかなっちゃうんじゃないかって思った」そうな


逆に母の葬儀のときは喪主を務めていて、

「あのnonがどうしちゃったんだろう?」ってくらい気丈に振舞ってしゃんとしていたらしい。

一人娘として母をきちんと送らなきゃって責任感が

ある意味悲しみをマヒさせていたのかもしれない。


お坊さんや参列者への気配り、

「引き物」の数が足りてるかとか、

精進落としの料理のこととか

会場の管理人との交渉とか、

泊まってくれる親族のお布団の手配とか....


父の亡くなった晩、母とずっとお線香をたいて父の枕元にいた


午前2時を回ったくらいのときに二人して

「お腹空いたね」って

泣きながらカップワンタン食べたっけ


しゃくりあげながらワンタン食べて、

なんだか二人で噴出しちゃって


「こんなときにお腹すくんだね」って母が泣き笑いした



御通夜や告別式って亡くなった人を送るのと同時に、

残された者たちの悲しみを癒す時間なのかもしれない。


「火葬場に棺が入るとそこで観念しちゃうんですよね」

って葬儀屋さんが言ってたなあ。


そう、棺が火葬の釜に入って行く瞬間.....


もう生きているときの姿を二度と見ることが出来なくなる瞬間


追いすがって棺を取り返したかったけど、

隣の母の静かな白い顔を見たら、

ここで取り乱しちゃいけないんだって思ったっけ。


父のいろんな顔、今日は思い出してました。


頑固な職人で、怒ると怖かった。

けっこう反抗したときははたかれたし,,,


でも、いつも私のことを考えてくれていた


アニメは大好きだったから一緒に良く見たなあ

手作りで「トレース台」も作ってくれた


「新造人間キャシャーン」も一緒に見てた

オーディオにはうるさかった

スピーカーは何個作ったろう?

秋葉原にも一緒に行ったし...


甘いものが大好きで

涙もろくて

手先が器用で


そのくせ「男気」のある父だった

私の父とは思えないくらい

ひょろりとした体格で

なんで父に似なかったんだろうって

いつも思ってた。


QUEENやJ.DENVERも一緒に聞いていたから

天国で「娘が好きなんでよく聞きましたよ」なんてフレディたちに挨拶してないかしら?

フレディの亡くなった翌年だったもんね



父の亡くなる2ヶ月くらい前、


ちょっと実家に遊びに行って

帰ってきたら父からの電話。


「あれ?さっき帰ったばかりじゃん、どうしたの?」

ってきいたら

なんだか凄くしんみりした声で


「お前が帰ったら、なんだか家ががらんとしてな、

なんか...きゅうに寂しくなった」


初めてきいた父の声だった


「やだなあー、またすぐいくよ。ちかいんだからさ」

照れくさくてそんな風に言ってしまった




でも、次に会ったときは病院に入ってしまってたな。


ごめんね。


病院にお見舞いにもって行った桃の花


あれから桃の花は悲しい花になっちゃったんだなぁ


お父さん、nonは元気にやってますよ