2009年6月28日~の出来事
『どんな風に記憶に留めたらいいかわからないまま、とりあえずパソコンに打ち込んでいくことにした。
すごく辛くて、あまり思い出したくないけれど、人の記憶なんてあてにならないし、特に俺は忘れっぽい
性格なので、こうやって文章に残していこうと思う。その時の気持ちを絶対忘れないように・・・』
僕は、かこっちょが3年前に倒れて、退院するまでの出来事や、その時の気持ちを細かく記録していた。
これがその記録の最初の文章。読み返すと、その当時の事を思い出いだせる。
記録を読んで「こんな事あったかな?言ったかな?」ってほど忘れている事はないけれど、
細かな出来事やその時の会話や気持ちなんかは、記録を読んで思い出すこともある。
当初の予想通り、やっぱり人間の記憶なんてあてにならない。(特に僕は・・・)
かこっちょが天国に逝ってから、かこっちょの全てを永遠に忘れたくないという思いが強く、
記憶があてにならない事がすごく怖い。
かこっちょの顔や声はもちろん、闘病生活でのいろんな出来事や、その時の辛かった気持ち(感情)なんかもきっと忘れない。、そんなのは当たり前なんだけれど、そういう記憶は写真や動画や文書という形あるもので残していける。
細かな会話なんかは、少しずつ記憶から薄れていくかもしれないけれど、記録を読み返せば思い出すことができると思う。
一番記憶に留めるのが難しく、でも一番忘れたくない記憶が形に残せない“感じた記憶”。
“感じた記憶”という表現が正しいのかわからないけど、何かの出来事があって起こる感情(何かをしてもらって嬉しかった。とか何かが起こって辛かったとか)ではなくて、
かこっちょが傍にいる、ただ横にいる、その存在自体に感じる安心感とか、あったかい気持ちとか・・・
優しいオーラというか、臨場感というか・・・そういうリアルなかこっちょへ感じる記憶、感じた記憶。
そんな抽象的で形のない記憶が、まず薄れていくような気がしてます。
そういう“感じた記憶”も全部覚えていたいんだけど、薄れていくんだろうな。
人間だから仕方ない事も分かってるんだけど・・・
それが怖くて・・・何とかしたいな。
よくわからない文書になってしまいすみません。