見送った太陽を
翌朝迎えるみたいに、
笑顔で再会する日を
信じていられたら。


異次元のような
時間が続いてる。
生きている事が
不思議な日々。
だけど生きていて
最近は、
息苦しいと思うときに
生きていることを
痛感する。


コロナ陽性者が多発して
施設が閉鎖されたり、
色んな新しいことが
支障を伴って回ろうとしたりして、


その合間に
人が巻き込まれると
そこから自身を立て直すために
気力を奪われてしまう。


ちょっとした
食い違いも、
今は余裕のなさから
2次災害を招きやすい。


でもきっと
原則に立ち帰れば
何かが抜け落ちてるだけなのだ。


最近は不慮の出来事に
立て続けに巻き込まれていた。
ちょっとシゴトを離れたい。
そう思った時に、
有給休暇が降ってきた。


出ずっぱりの選手を
交代するかのようだった。


シゴトの密
関わる人を減らせば良い。


利用者
家族
ケアマネ
サ責


このラインで
情報が滞ると
ヘルパーは
咄嗟の判断だけで
対応しなければならない。


人は
モノではない。
これは
変えられない。


いくら情報伝達に
技術を駆使しようとも。


想定外の事象への
加算等はない。


心がスリ減らされ
無償の感情労働に
疲労が蓄積する。


そんなときは
意外と船頭だらけで
船が沈みそうになっている
という事が多いのだ。


何はともあれ
休めるのは
シアワセだ。


幸い連休となり、
頭の中から
明日のシゴトという要素が
なくなった途端、
翌朝から心が軽くなった。


単純だ。


明日の朝陽は
雲で隠れなければ拝める。
今日の夕陽も
雲で隠れなければ見送れる。


誰も
それを信じて疑わない。
そして
それかできたとき、
報われたような達成感に包まれる。


自分のことも
そんな思いで包めたら
シアワセ。


お休みは
自分を包む。


やりたいことは
身近な日々のこと。
それさえも
シアワセ。





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