『セラピー』っていうのがブームですが、最近私の住む地域の近隣でも行政の支援で森林セラピーが推奨しされているようです。
なかなか忙しく、私はまだ参加した事はありませんが、木々の葉が触れ合う音や川のせせらぎや鳥の鳴き声が聞こえてきて何とも癒されるのでしょう。見えない世界の観点を除けばですが・・・
以前、大分県のオートポリスというサーキット場でママチャリレースに参加しました。中津江村というところにありますが、ここはサッカーのカメルーンナショナルチームが滞在した事でご存知の方もいるでしょう。
自然が多く残る場所ですが、自然に囲まれたオートポリスの路面をママチャリで走るのは爽快なものでした。ただ、見えない世界の観点から見開くと、爽快感だけでは無いのです。
人里離れた緑溢れる山の中。
今までは、その山に踏み入る人などいなかった。しかし開発などのために、その場所に人を招き入れるために、道が必要になった。
当然 、少なからず木々を伐採したり石を砕いたり動かしたりして道などを造る事になります。
人が集まるような場所が必要であれば、駐車場も必要ですので広範囲に山を掘削して造成も行くのです。
自然は、木々の精霊は、破壊され、追いやられた。
人から見れば、オートポリスができたのです。
見た目は建造物も自然と同化するような仕組みであったり、道路も木柵などで囲い、舗装はカラー舗装で自然と溶け込むようにする。見た目の景観は確かにいいのかもしれません。
これは人からの目線に過ぎません。
見えないとはいってもそこには住人が存在するわけで、多くの物を破壊して自然の姿 を作り替えることはその者たちにとっては破壊されたのです。
確かに自然からは色んなパワーが発せられ人に力を与えてくれます。
ただ世の中は色んなバランスで成り立っています。すべてを人の欲求や求めに応じてやれば弊害も起こってきます。
開発されるまでは山道を歩き、たどり着いた人にしかわからない境地だったのかもしれない場所。そこに道路ができ多くの人が集まれば、当然、ヨゴレやゴミなど色んな副産物の宝庫ともなります。
野草や野花を持ち帰ったり、ゴミを放置したり。それだけにとどまらず色んなものを置いていきます。
富士山の例をみてもお分かりの通り、色んなものが整備され、多くの人が集まるようになれば、色んな問題が生じてきます。
見えない世界の情報をキャッチしやすい人たちにとって、つまり霊媒体質の方にとって、そういう場所は本当にツライ。
思いや念なども人が多く入ることによって増幅していきます。
そういうものを食い物としている魔物も増えていきます。
疲れや心を癒やすために訪れる土地のはずが、まったく違う世界に変わっていく場合もあるのです。
人により感じ方や見え方が違うことは当然あるかと思います。
けっして多くの自然に触れることを否定しているわけではありません。
ただ、自然セラピーという言葉にいつも疑問を持ってしまうのです。
これもまた見えない世界の真実でしょう。
人見