春の嵐
待ちに待った春が来て・・・・
待ちに待ったジェジュンと同じ空間で同じ時間を過ごし・・・・
「やっぱりジェジュンがいい。ジェジュンしかいない」と再認識し・・・
2枚目のソロアルバムリリースと日本ツアー予定ありの言葉に胸を躍らせ・・・・
自宅に帰るなり、アーカイブ神席で感動の復習をしたジェジュン尽くしの4月14日が過ぎた、その翌日…
ジェジュン関連記事やファンの感動の声の数々に交じり、見なくて良いものまで目にしてしまった。
「推しが喜んでいることをなぜ一緒に喜べないのか?(感情の共有)」と疑問を投げかけ、甚だしくは人格否定するる人たち。
私からすれば、
「推しが喜ぶからと、全て歓迎してきたの?歓迎できるの?本当に?まじりっけなしに?無理してない?」と疑いの目を向けたくなるのだけれど…其れもまた人格否定の好材料になるわね。
消費者のニーズに合わない商品は売れ残る。
選択権は消費者側にあるのだから、それは当然の結果。
ファンとスターの関係も商品購入と大した違いは無いと言ったら身も蓋も無いけれど、そういうことでしょ。
スター(芸能人)は、一人の人間であると同時に一つの商品。
ジェジュン自身が一番わかっていることだと思う。
だから、ジェジュンは努力してる。
いつも新鮮であるように・・・
何時も刺激的でありたいと・・・・
それは自分のためでもありファンのためでもあると・・・
その努力を否定したことは一度もないし・・・
万一否定したところで、やると決めたことはやる男だし・・・
そんな部分も含め尊敬している。
今回のドラマ主題歌もその一環なのだろうとは思う(そう思いたい。それ以上は無理)。
ただ・・・=「その結果物(方向性)をすべて歓迎する」こととは全く別の話なわけで。
「右向け~右」の号令で左を向いた者に落伍者の烙印を押すようなスターに明日は無いと思っている。
左を向いた者を右に向かせる「その次」を準備できる人だけがファンダムを維持して行けるのだと思うし、ジェジュンはそうやって私を納得(?)させ続けてくれた。
そんな私だから…余計「推しの喜ぶことをなぜ一緒に喜べないのか」という一般的に言えば真っ当な疑問に激しく疑問を感じてしまったのだと思う。
良ければ良い。
好きは好き。
嫌なものは嫌。
「自分の感情に正直なファン」も
「ジェジュンが嬉しいなら自分も嬉しいファン」も・・・
「ジェジュンだけが好きなファン」も・・・
「ジェジュンも好きなファン」も・・・・
ジェジュンが好きだからジェジュンファンで「JAEFANS」。
至極当然な話が当然でないような雰囲気。
過去を思い出さずにはいられない雰囲気。
ジェジュンが運んできた春が嵐に変わりませんように。