母方の伯父はいつも愉快で豪快で心広い太陽みたいな人。



私、すっごく大好きだったのね。



実家から伯父の経営する工場はとても近くて、よく遊びにいったものだ・・・工場の客間で馬鹿話をしたり、ご飯を食べにいったり・・・。 私の親友ともふざけて一緒に飲んだ。



地元の子供たちからも、大人からも好かれ、近所の子供を連れ出して遊んだり、市の選挙などにも進んで協力するような、とても行動力のある伯父だった。



伯父は冬でも欠かさず朝夕ウォーキングし、実家にもよく足を運んでは、私と一緒に酒を飲んだ



「ピクニックだからな! ペクニ~ック! ちゃんと弁当もってこい!!(`∀´)」 と夏の河原遊びでは一緒に弁当も持参して・・・



伯父も私も子供たちと混じって裏の河原で魚の追い込み漁をして、年齢も忘れて川の中でふざけて遊んだ




ゆかいな伯父だった。





・・・5年前の今日は、その伯父が亡くなった日。 59歳だった




亡くなる前日、母と妹と伯母と従兄弟で・・・お見舞いにいった



母はベッドでずっと寝ている伯父の髭を剃りながら



「いつもいつも綺麗にしていたのにねえ・・・かわいそうに・・・○○ちゃん・・ 起きてよ・・・」 と泣いた 私は、・・・なにも言えなかった・・・・・・




次の日、「○○ちゃん、亡くなったよ」 と母からいわれ・・・・・・もう、その時は本当に悔しくて・・・枯れる位に、泣いた






・・・・・・    憎き、 直腸がん。





転移が見つかってから、早かった。 




あれから5年・・・。 今は伯父がどれだけ大変だったか・・・少しは分かる。 癌は肛門から5cmで私と同じ位置。 排便障害だって・・・お腹の痛みだって・・・きっと、同じだったはず。




河原で遊んでいたとき、 「俺、調子悪くなったから、帰るわ」 と言ってささっと帰っていったね




その時私は正直淋しくて、もうちょっと一緒にいたいと思ってしまっていた



きっとお腹が痛かったのかな・・・排便を我慢できなかったのかな・・・?? 全く辛い顔一つ見せたことのない伯父だった。 あの時は、まだ術後一年してなかったはず・・・辛かったのだよね。きっと・・・




・・・・・・なんか。。。変な表現だけど。。。




伯父さん、あなたと同じ直腸がんになったことが分かって・・・今は変に誇らしい。 何故だ? 



あなたが癌になっても、私に弱いとこを一つも見せずにいたね。 あなたはとても強かった。 私もそうでありたい。



あなたが健康なとき、




「人生は 暇つぶしだ」 と言ったね 「死ぬまで暇を潰して生きていくのだと」 



でも、亡くなる前に



「畜生、あと10年は生きたかった・・・」とあなたは言ったそうだね




・・・・・人生、暇つぶしかもしれない・・・でも、私、毎日を大切に、一生懸命に生きるよ。 あなたの無念も、あなたの分も、精一杯生きるよ・・・





「お誕生日、おめでとう」





今日は、伯父とも一緒に遊んだ親友の誕生日。 そして、伯父の命日。





・・・この永遠に続いていく命のリレーの重みを、私はずっと忘れずに心に留めておくよ、ずっと・・・ね。





伯父さん、いつかまた・・・二人でお酒、飲もうね。 もうちょっと、待っててね・・・^^