「失敗」について考えてみた。
家事の「失敗」から政治の「失敗」まで

「失敗」は、誰にでもある。

特に、技術を伴う行為においては
「失敗」を重ねないと上達しない場合もある。


例えば家族の食事を毎日作ってる主婦は(主夫も)
目分量で味付けしても
そんなに大きな「失敗」はしない。


何度も「失敗」を重ねて
材料と調味料と調理器具の量バランスが
身についてるからだ。


でも許されない「失敗」もある。
医療や介護(介助)の「失敗」は
命に関わる。
そうでなくても、
痛い思いをさせられたりする。


だからなるべく「失敗」の無い人にお願いしたい。

もしも手術を受けるなら
なるべく上手な医師に執刀して欲しいし
静脈注射だって、なるべく上手い看護師にして欲しい。
歯の治療は痛くない歯科に行きたい。


「失敗」を重ねないと上手くならないと知ってても
そんな練習台には、誰だって、なりたくない。


それは介護(介助)の場合も同じで、
オムツだって、体位だって
するするっと交換できて
周囲を汚さないでササっと清拭できて

移乗なんか
手品みたいに涼しげな顔で行えて
そのうえ気遣いの言葉があって・・・

そんな人を希望するけど

現実はそうはいかない。
上手な人もいれば、そうじゃない人もいる。


たとえリフトで移乗介助したとしても
注意力が散漫なら
被介助者を落下させることもある。


でも「失敗」した人を責めるだけじゃ
次の「失敗」は防げない。


どんな環境が「失敗」につながりやすいか、
次こそ「失敗」しない為には、どうすれば良いか、
知恵を出して話し合わないと解決しない。


誰だって練習台にはなりたくない。
でも誰かが練習台にならないと
永遠に誰も上手くならない。


だとしたら、せめて
痛い思いをした人の、その痛みに報いなければ
何のために「失敗」されたのか
意味がないじゃないか!


だから「失敗」した人には
2度と同じ過ちを繰り返さないと肝に命じて欲しい。

2度と誰も同じ「失敗」の道を歩ませないと誓って欲しい。









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