2年間の総括、長文ごめんなさい。


2年前の9月に初めての留学生活、そして初めての一人暮らしをスタート。

日本でドイツ語学校に通っていましたがそんなの全く通用せずドイツ語をままならい、というか皆無のまま生活をはじめ、ほんと体だけ大人で脳みそ3歳児状態、、というか3歳児のほうがよっぽど話せんじゃないのくらいのレベル、、笑 

それでも、お友達がたくさん助けてくれてビザも無事ゲット、学校生活スタート。


最初の1年は正直日本に行ったり来たりの繰り返しで、なんとなく海外生活送ってみたといういいような悪いような、、腰を据えてって感じではなかったのでさみしいと思う間もなく(ドタバタすぎて、、)あっという間に終了。

2年目は正直自分の演奏に関しての悪い部分についに目を向けないといけない時期がきちゃったというか、もう逃げられないというか完全にスランプ、八方ふさがり。それでも根気よくレッスンしてくださって私のつたないドイツ語にも懸命に耳を傾けてくださり、奥様も本当に助けてくださり感謝でいっぱいです。劣等生な私を見捨てないでいてくださって本当に感謝でした。

あと、体調管理。本当に病は気からというように、40度熱が出て初点滴in 海外やったり、扁桃炎したり肺炎なりかけたりこっちの強烈な抗生物質飲んだり、てんやわんや。そんな時も、病院に付き添ってくれたり、わざわざ家まで出向いてくれてりんごすってくれたり、生姜湯作ってくれたり、、本当に助けていただきました、、。


もう無理っていう私を根気よくがんばろうと励ましてくれた友達達には本当に今もこれからも感謝。

正直海外生活はいいやとげっそりしていたのですが、こんな中途半端で何も掴めてないのに帰るってどうなのよって思ったのと、日本に帰って胸をはってこれだけ頑張りました!ってみんなに言えるの?という言葉がぐさりと胸に刺さり、踏みとどまって現在ベルリンに在住です。


正直な感想は、あきらめなくてよかった。本当にこの地に来てよかったって心から素直に言えます。

日本にいるときは自分は強い、へこたれないんだと思っていました。でもそれはただの驕り。結局近くにいて家族や友達に支えられて頼って生きてただけとこの歳になって再確認。というか、今気づくことができてよかったというのが感想。


ウィーンの先生が、

「これまでは音楽を楽しんでただけ、これからは音楽とともに幸福になる道を探さないと行けないよ。」と。

本当にその帰り道、号泣しながら岐路に着く私を周りのウィーン人たちはドン引きしながら観察されてたのは今でも忘れません。


でも自分は音楽が大好きで音楽とともに生活していきたくて、それに向かって努力するというスタンスは変えられないなと思い、というかそれで満たされてるんだと確認できた2年間。

こんなに禿るんじゃないかって悩んだこと人生で1度もなかったし、悩む前に行動!なんてでっかいことよく自分言えてたなと思います、、。笑


ウィーンからベルリンへの引っ越しも考えただけで億劫だったのですが、というか国を変えることも億劫というかめんどくさい 家さがしも難航。たまたまインターネット見てたら音楽可の物件を発見即メール。


大家さんはイタリア人奥様は日本人の方々で内覧に行っただけの予定が、ご飯までごちそうしてくださり、、いい方々に巡り合えてうれしかったです。

その後、ウィーンからベルリンへ8箱ほど段ボールを送り、ちなみにウィーンベルリン間は20ユーロ、トラブルなければ3,4日で到着。参考までにURL。ドイツ語です、、。うえーげろげろ。

http://www.post.at/privat_versenden_paket.php


8月末3日間、9月半ばに4日間大切な友人がほぼ三日三晩な勢いでなにからなにまで手伝ってくれました。本当に1人なら何日かかってたんだろうと考えるとまたげっそり、、。


最後には手続き系の契約解除。

私は運よくピアノ専攻の方がNachmieterとして入ってくれたのでピアノ運送代もいらず、、。


住民登録、銀行、ネット、ピアノの契約解除。

一連の流れをたんたんとこなし、いざベルリンへ。


3歳児のドイツ語が6歳児までは成長したのでは、、と思う2年間でした、、。

お世話になった方々、本当にありがとうございました。







何度も足を運んだ大好きな楽友協会。