tobe落選  課題『新人』 | あべせつの投稿記録

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課題「新人」 2作目

 

新人研修  

 あべせつ

 

 

--しまった、五分遅刻だ。

 タイムカードに刻まれた数字を見たとたん、ようやくはっきり目が覚めた。若い頃ならひと眠りすれば消えた二日酔いが、五十路も半ばになると、翌日いっぱい後を引くようになってしまっていた。

 

--だから、平日に飲みに行くのはよそうと言ったのに。高橋のやつめ。

 酒席の誘いを断れぬ己の弱さは棚に上げ、ぶつぶつとぼやいてみるが、今はそんなことは言っている場合ではない。俺はエレベーターを待つのももどかしく、階段を経理課のある三階まで駆け上がる。いや、もとい、駆け上がれたのは二階までで、そこで息が上がってしまい、結局は踊り場で立ち止り、一休みせざるを得なかった。

 

--俺も体力が落ちたなあ。こんなことなら、下でエレベーター待ってたほうが速かったんじゃないのか。

 

 ようやく自分の席にたどり着くと、課長の中村が待ちかねたように俺を呼んだ。

「山本君、重役出勤とは恐れ入ったね。定年間際だからって、まだ定年気分になってもらっちゃ困るんだよ」

「申し訳ありません」

 この嫌味で鼻もちならない若造は、俺より二回りも年下のくせに、エリートなのを鼻にかけ、山本君と君付けで呼びやがるのだ。山本さんと呼べとは言わないが、せめて山本係長と言えんものだろうか。

「山本君、早速だけど、第三会議室に行ってくれる? 研修があるから」

「研修? 今日は月次試算表をまとめなきゃいけないのですが、何の研修ですか?」

「試算表は、風間君がやるからいいんだよ。さあ早く、ただでさえ遅刻なんだから」

 追い立てられるようにして部屋を出た。

 

--いったい、今更何の研修なんだよ。

 第三会議室のドアには、『新人研修』と貼り紙がしてあった。中に入ると、正面の黒板に向かってパイプ椅子が並べられ、既に十数人の人間が座っていた。

「山本、こっち来いよ」

一番後ろの窓側の席に座っていた高橋が、俺に気付いて手招きをした。

「おっ、高橋、お前もか。いったい何の研修なんだよ?」

「いや、俺も知らんよ。新人研修と書いてあったから、新年度の新入社員の研修でも受け持たされるんじゃないのか。顔ぶれを見ると、各課から人員が集められてるみたいだからな」

 

 その時、壇上に若い男が立った。人事部の笠原だ。こいつは、うちのイヤミ課長と同期の、やっぱり鼻持ちならないイヤなヤツだ。

「今日お集まりいただいたのは、皆さんに研修を受けていただくためです。皆さんも我が社に勤められて数十年、大抵の方は同じ部署で働いてこられたと思います。人間、変化がないと進歩が滞ります。慣れが、非効率を生み、生産性を落とすのです。皆さん、最近、緊張感を失ってはいませんか? どうです? 思い当たる節があるでしょう?」

 そう言われると、ぐうの音も出ない。

「そこで皆さんに、心機一転、フレッシュな新人の時の気持ちを思い出していただくべく、『新人研修』を受けていただくことになりました」

「新人研修だって?」

「まあ、お静かに」

 室内のざわめきを手で押さえて、笠原が話を続けた。

「まずは、今の所属しておられる部署とはちがう所で仕事をしていただきます。会社全般の仕事を体験していただくのは大切なことです。では、各自の配属先を記した用紙をお渡しますので、早速ですが本日からその部署へ移動してください」

 笠原は言い終えると、そそくさと退室して行った。

 

「げっ、この俺が経理課だってさ。一日中じっと座ったまま、ちっこい訳のわからん数字なんか見てられるかよ。山本、お前は? 」

「俺は、営業・・・・・・。」

 人見知りで、あがり症で、体力無しのこの俺に、飛び込み営業をやれと言うのか。

 俺は、ふと思った。これは体のいい肩たたきなんじゃないのかと。以前のように露骨に左遷や、窓際や追い出し部屋だと、社会的に問題視されるから、研修という名目で行うのではないのか。

 --そう言えば、研修期間を知らされなかったな。

 一週間なのか、一か月なのか、定年までなのか……。先の見えない不安が押し寄せてくる。

--今さら、新人にはなれないよな。

 俺は手にした配属票をくしゃくしゃと丸めると、ゴミ箱に放り込んだ。完

 

 

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