ギリシャの秋は本当に短い。
2-3日もあればいい方だろう。

青空朝市場で、柘榴をみかけたら
もう朝の空気にちゃんと冬が居る。


冬の存在を感じると必ず行く場所が
あった。


現代の常設市場である。

アテネの元々の中心地であるオモニア広場の
少しだけ手前にあるアゴラである。

肉市場と魚市場がくっついていて近場には
チーズ屋、粉屋、干物屋、パン屋、玩具に
鳥類専門店(生きてる鳥)、レコードから
電気、ランプ屋、生活雑貨、アラビア食材
中華・・・・蝋燭屋に蜂蜜、測量機・・・
ほんとうに何でも売っているのである。

東京におけるショッピングとは、ほど遠い
感覚での買い物である。
いわゆる戦後の闇市のようであろう。

だが、その、蒸せ返す生活一般のすべての
悪臭が入り乱れた場所にひとたび入れば
もう生きんがための五臓六腑となる。

まさに活発なる五臓六腑である。

朝早く幾度となく私用で通過する時も
顔見知りのおやじたちは実にいろんな物を
持たせてくれる。断ると本気で怒るのである。
結果、チーズや魚にパン(肉はさすがに)を
しこたま抱えて、滞在許可書取得の大バトル
に何度望んだことであろう。生臭いのである。

すべてが、あれほどまでに生臭い場所がある
であろうか。

是非行ってくれとはいわない。
立派に観光地となっているから今更に、
お勧めという気もない。
観光案内をする気もない。

が、しかしである。

生活臭いその場所に1人のよそ者として
足を運ぶたびに思うことがある。


人の暮らしには見えない裏の部分もある。


まさに、この現代市場を中心にそんな
人間臭いドラマが数えきれないほど日々
繰り広げられている。

幾度となく深入りしそうになったが所詮は
よそ者である。ただ、彼らの彼女らの生活が
生きんが為であることは痛いほどわかった。
分かるが、こちらも必死で生きなければ
いけないのである。撮るつもりも無い。
被写体としての人間臭さは、もっと他にも
あると思えた。ただひとつ・・・・・・・



すべてが、裸になった時、個々に何が残るのか?



浪漫である。ロマンではない浪漫である。

この現代浪漫市場は、ほんとうに人間臭く
生活の悪臭を放ち続ける生きた場所である。



いつまでも、どんな形にせよ、悪臭にまみれた
人間らしいドラマを描き続ける生きる場所で
あって欲しい。














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