くどいのだが、
ギリシャのアテネの秋は短い。
色っぽくないのである。
「 秋です。」
名乗ったかと思うと
もう居ないのである。
全く気ぜわしい奴め、なのである。
そうして、辺りは冬になっている。
突然に、である。
冬になると暗室の日々が増え
材料買い出しの日々も多くなる。
暗室が終わる頃
まだ朝焼けの始まる前に
そっと外に出て
公園のスタンドバーで
あっつあつの湯気のたつ
コーヒーをすすり
人々がそれぞれの仕事場に
ぞろぞろと歩き始める頃
もそっと材料を買い出しにいく。
旅にでない頃の冬の日課である。
帰り道にあるメトロの駅上にある公園で
眠さをだらだらと持ちながら一服である。
オリンピック前に一斉に整備されたアテネの町。
その奇妙な整い方は、実に哲学などもう
生まれないであろうかのような様であった。
だが、冬である。
だが、ここはギリシャである。
きれいに整えても人間と動物と木々たちが
思い思いにまた汚し始めて、1年後には
なんとか以前の空気を取り戻しギリシャらしい
どさ~どちゃ~という居心地のよき場所に
少し戻っていた。
人間の手垢で汚れていくのである。
生活の故である。
生活の部分である。
が、町なのである。
それぞれの存在が、思い思いに自由なのである。
そして、その中を時間がふつふつと流れていく。
やはり、アテネは我が焦恋の地である。
時間の中で、ゆっくりと息をしたい人には
実にたまらない場所である。