1988-1989の1年間
N.Yに暮らしていた。


当時、カメラはまだ
父親から貰った
バカチョン1台であった。

もちろん写真はまだ
表現の手段として
選んでない時代である。


1年の間に撮影した写真は
カラーネガ1本ぐらいである。


今でも懐かしくアトリエに
飾っている写真である。


当時、暮らしていた部屋の
小さな窓から撮った
11月のニューヨークである。


それから10年。


ある人に会いに
また再び、N.Yを訪れた。


アテネからのフライトである。
ギリシャでの暮らしも、5年目
の冬であった。


1ケ月、会いたい人を
捜す日々であった。

毎日毎日、カメラ片手に
10年前の感覚を体のどこかに
探り当てながら町を歩き回った。



が、行けども行けども
居ないのである。


写真すらどう撮っていいのか
解らなくなってしまう日々であった。

何もなく、どこにも居ない。

でも、確かに居るのである。

その人は10年前から
そこに生きているはずなのである。

感覚も10年経つと消滅し薄れる
ものなのだろうか・・・・・。



不在感の漂うなかで
結局N.Yの日々は
数本のフィルムと
なったのである。
















やはり、10年前の自分に逢おう
というのは、とても難しい事なのだろう。












カメラバカチョンという言葉が
差別だという意見なので…訂正言い訳。
油屋(カメラ好き)にとっては
めっぽう愛らしい「かわいこちゃん」
という気持ちなのである。
今でも、父の形見として
思い出用に大事にシャッターを
切っているのである。

悪気はないので、この言葉に
示唆を持さないでくだされば
幸いです。この文はバカチョン
について語っている訳では
ありませんので・・・・・・

結構ちゃんと使うのは難しい
カメラです。だからこそ
かわいいんです。


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