「不治の病」とか、「猟奇殺人事件」が物語に現れなくとも 、人生の道行きでぱっくり口を開けた悲劇は描ける筈だ。ラスト以外、大きな事件は起こらない。
けれど、「助けて下さーい。」と、叫びだしたくなる鬱積した不満がこの「通り」すなわち、美しき「レボリューショナリー・ロード」に溢れているのだ。
「生活の為の仕事のことを聞いているのではなくて、あなたのやりたいことは、夢は何なの?」とエイプリルが問いかけるファースト・シーン
何処の国の何時の時代でも勤め人は、この自問自答を繰返していると私は思う。
誰しも「こんな生活の為の仕事、もう嫌だ。」と思い、「自分はやりたいことがあったんだ。」と誰にともなく呟かずにはおられない。けれど昇給と安定も視界に入れつつ、「時間がないから、お金がないから、責任があるから、夢を追うことができない。」と己を誤魔化し続ける日々をおくる人間を責められる者は多くはない筈だ。
階段に佇んでパリ行きを夢想するフランクの後ろで、灰色スーツの大群が黙々と階段を降りてゆく。その構図ひとつで彼の不満を語り尽くす「アメリカン・ビューティー」のサム・メンデス監督。
破れた夢に変わるものを見つけられないエイプリル、「夢」破れた彼女が、身近な対象に怒りをぶつけ、次に身近な対象で憂さを晴らし、思慮のない行動で自滅してゆく。
たぶん、この映画の弱さは、「それでは、エイプリルは、フランクはどうすればよかったのか?」というテーマに対してポジティブなヒントを残せていないところだと思う。
唯一の回答めいたものは、不動産屋の妻が、「あの夫婦は変わっていて、本当は付き合いにくかったのよ。」と炉辺でぐちぐちと喋り続けるラストカット。
妻のお喋りの最中、夫は、すぅっと黙って補聴器の音を絞り、 画面は音のない世界となる。
映画のエンディングとしても最高であり、夫婦 という関係に対する、ある種語りつくされたかたちでの答えとなっている。