霊的な自己認識
「霊的な自己」を認識している割合が五十パーセントを超えると、
人生が変わってきますし、
周りにも、
今までと違った現象が起きてくるようになります。
それは、
その人の世界観が変わってきたことを意味しているのです。
『繁栄思考』 P.106より
これは、まずできないのでは?と断念する感じがあります。
肉体を持った生活をして、50パーセント霊的であると自分自身が感ずるのは、非常に難しいものです。
食欲もありますし、睡眠欲もありますし、性欲もあるでしょう。
観念的に自らは、霊的な存在であり、肉体は乗り物であって、死んだら魂として霊界に帰ることは分かっていますが、やはり、肉体を離れた自分を描いて、霊的な自己を認識するのは、山ごもりなんかしないと無理かなと諦めの気持ちもあります。
でもこれは、完璧に霊的な自己を認識するのではなく、使命としての自己を認識するのであれば、様々な物事に対して、自分ありきや自らのために生きている存在ではなく、世のため、人のために自己が存在するのだなと云うことは理解できているつもりです。
世界樹の樹や重々無尽の縁起を考えると、自と他、自と神とは一体な感覚は、何となくですが、掴める気持ちありますが、日常生活に埋没すると、それも難しく、何も得てない自己がそこに存在するだけと虚しさを感ずることもあります。
ただ、未来への情熱とか、こう世の中に貢献したいという思いの部分であれば、人は使命そのものになれるのではないかとも思います。
そのために、幕末の志士のような努力が必要なんだと改めて言い聞かせている自分がいます。