体育セミナーの経緯 (その1) | しーちゃん先生のアフリカ滞在記 In Ethiopia

体育セミナーの経緯 (その1)

 
( 「写真撮ってぇ。」 と寄ってくるエチオピアの子ども)

エチオピアは昔、軍人が体育の授業を受け持っていた。

よって、体育は軍隊で使われる用語や形式のものが非常に多い。
そう、かつての日本がそうだったように、エチオピアも号令一つで子どもたちが動く体育が主流となっている。

体育には、心身を鍛えるだけでなく、
体育教育だからこそ学ぶ事が出来る内容、
スポーツだからこそ学ぶ事ができる内容がある。

スポーツマンシップ ・ 公正な態度 ・ 問題解決能力 ・ 社会性 ・ モラル ・ 友情、連帯、フェアプレーの精神 ・ 勝ち負けを超えて分かち合える想い・・・

国境を越えて、言葉がなくても分かち合う事ができるモノがそこにはある。

それが現代体育であり、現代スポーツ。

しかし、エチオピアで実践されている体育の授業では、まだまだ現代体育、スポーツまでは程遠い。

エチオピアの体育は、大きくわけて3つの特徴がある。

一つ目は、身体のトレーニングを基本としている授業が行われている事。

二つ目は、幼いころに軍人による授業しか受けていないため、先生達の多くは、実技がわからない。そのため、大学で習った理論を中心に教えてしまう。
つまり、体育が運動場で行われるのではなく、教室で、理論偏重の授業が行われているという事。

そして、最後の特徴として、トラブルがあった時は、体罰によって律されるという点があげられる。


そんな背景の中、約6年前に派遣された体育隊員が中心となって、体育の素晴らしさ、スポーツの素晴らしさをひろめようということで始まったのが、この体育セミナー。

そして、いつの日か、エチオピア人が自分たちだけで、開催できるようにという大きな目標を持って、日本人とエチオピア人の二人三脚のセミナーが始まった。
(エチオピア協力者に聞いた話です。)


当時は、セミナーという概念も弱く、また国としても体育教育に力を入れるのではなく、国の発展、つまり経済であったり、理数科教育に力をいれていた背景がある。

その流れは6年経った今も続いているのだが、その中で、先輩隊員の尽力もあって、なんとかエチオピア初の体育セミナーが開催された。

それから時が過ぎ、体育セミナーも認知も高まり、リピーターも増え、より高度なセミナーが求められるようになった。

また、セミナーが現地の教育界に根付くために、教育委員会と共に開催したこともあって、参加者に日当が支払われるようになった。
そこで新たな問題が出てきた。

エチオピアが発展し、物価の値段が急上昇するとともに、教員の給料では、生活が苦しくなってきた。

そして、参加者の多くが、セミナーで学ぶことより、即金で支払われる日当が目当てで参加するようになっていった。

そんな経緯をたどっているころに、自分は派遣された。

(ポーズ大好きの子ども)

そんな背景は露知らず、
初めて見たセミナーは素晴らしく、驚いた。

現地の教員たちと力を合わせ、一生懸命に取り組んでいる先輩隊員は輝いていた。
参加者と気さくに話し、言葉の壁・国境の壁・人種の壁、そういったものは何一つ感じられなかった。

「自分もこんな風に活動したい。」

「自分もがんばってこの輪に入りたい。」

と、強く思ったのを覚えている。
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しかし、現実は厳しかった。

2日間にわたるセミナーの最後に、参加者に終了書と日当を渡す。

参加者のがんばりを称え、自分たちのがんばりも労える最後のプログラム。

拍手を持って、終了書を渡すのだが、いつもそこでトラブルが起きる。



「お金が安すぎる・・・。」


必ずセミナーの最終で繰り広げられるお金のトラブル
自分たちの思いは全く伝わっていないのかと考えさせられる。

そして、そのフィナーレ後、自分たちは蚊帳の外に出される。


「金・・・」

「金・・・」

「金・・・」


また、セミナーに深く関わっていくようになり、他にも色々なものが見えてきた。

セミナーを開催しようとしても、教育委員会側が、セミナーの意図をまるで理解せず、ただ国から降りてきたお金をどのようにして使うかしか考えていない役人たち。

がんばってセミナーを開いても、そのセミナーがどれだけエチオピアに反映されているのかわからない現実。

参加者が本当に満足してくれているのか、このセミナーが、自分たちの勝手な想いになっていないか不安でしかたがなかった。


いつしか、先輩たちが目指したセミナーが、自分たちの力量のなさから、その目的を失い、開催することだけが目的となっているセミナーに思えてきた。

別に評価されたいわけではない。
我々セミナー開催側 (日本人とエチオピア人) の思いがエチオピアの体育界に少しでもいいから、よい影響を残す事ができればといいと考えていたが、現実は厳しかった。


活動が1年を過ぎようとしていたころから頻繁に、仲の良い体育隊員とよく口論となった。

これからの体育隊員の事 ・ セミナーのこと等

自分たちがエチオピアに来た意義と意味がわからなかった。


そんな矢先、なぜかわからないが、自分にだけ
「体育隊員の派遣中止の連絡が入る。」

もうこのセミナーを引き継ぐ者が来ないという事実を突き付けられる。