しーちゃん先生のアフリカ滞在記 In Ethiopia -6ページ目

帰国しました。

日本に帰国しました。

色々な想いを胸に、日本に帰ってきました。


意外と簡単に日本の生活になれたんですが・・・


とにかく、『食欲』が止まらない。


吉野家に行ったら、『牛丼、トッピングは全部!!』って言ってしまう、

1日5食は食べてしまう。

止まらない食欲。


すべてが恐ろしいほどうまい

食が止まらない。


そんなこんなですが、


エチオピアがどんどん遠ざかっていくので、

忘れたくない思いを今、

ここにつづらせていただきます。


このエチオピアでの約2年間に及ぶ生活は自分にかけがえのない経験と感動、そして仲間を与えてくれた。


エチオピアの全てに本当に感謝している。


こう思えるのも、日本人とエチオピア人の仲間の支えがあったからこそ言える言葉 ・ 助けてくれたからこそ言える言葉。彼らがいたからこそ言える言葉。


感謝している。


ありがとう。

結果は決して満足のいくものではなかったが、未来に希望が持てる結果だったからこう言えるのだと思う。


赴任して、最初の1年目は、自分の技術・語学・知識・経験のなさに苦しんだ。


すべてが厳しかった。


すべてがきつかった。


自分の無力さを実感する毎日がきつかった。


厳しかった。


どれだけ考えても、どれだけ行動に移しても、結果が出ない、手ごたえのない毎日を過ごした。


毎日、何のために自分はエチオピアに来ているのだろうかと考え込んだ。


エチオピアで活躍する専門家やケニアで活躍するNGOの団体の扉を叩いては話を聞いて回った。


相談にのってもらい、自分の活動の光を探して回った。


活動が1年を超え始めた時、ようやく多くの人の意見を聞くことで、一筋の光が差し込んだ。


自分の活動が動き始めた。



でも、それは、自分一人では成し得る事のできない活動だった。


そんな時に、いつも支えになってくれたのが、日本人とエチオピア人の仲間だった。


いつしか彼らは、


自分の可能性を広げてくれた仲間たちとなっていった。

自分の想像をはるかに超える世界を、互いに導きあう事のできる仲間になっていった。


自分の想像を超える毎日を過ごせたあの日々がすごく懐かしい。


『明日が待ち遠しい。』

そんな気持ちになったのはいつぶりだろうと考えた。


一筋の光が自分の活動の原動力となった。

今だから言えるけど、血便が止まらない日々があった。

いったい自分の体の中で何が起きているのか不安だった。

不安でしかたなかった。


どうしても自分の活動を止めたくない一心で、血便の事も隠しながら活動を形作っていった。


結果、帰国前にして、自分の活動が、これからのエチオピアの教育界に何か一石を投じることが出来たような活動となった。


自分の活動が、未来へと続いていく 『道』 として、形作られたように思えた。


うれしかった。


また、何よりもうれしかったのは、

後輩隊員たちが、自分達が築き上げてきた道を、もうすでに彼らの方向に、彼らの色に、彼らの形に新しく築き上げ始めていたことだった。


もう自分がいなくても、この一筋の光は、大きな輝きを増し始めていると思えたのがすごくうれしかった。


彼らの姿をみて、自分の活動は間違っていなかったのだと思えた。


ありがとう。


いま、こうして日本に帰ると、あのころが夢の時間だったようなきがする。


すごく懐かしい。



家について、一息ついてから、フェイスブックに何人かの生徒から、メッセージが届いていた。


「we always miss you and love you」


「we are all spend boring time with out you; please come back」


「I want to start football club」



メールが来ると、あのエチオピアで過ごした時間は夢の時間ではなく、現実であり、今もなお、エチオピアも同じように時間が流れているのだと感じれる。


彼らも彼らで色々な時間をすごしているのだと。


この日本からエチオピアにできる事は何なんだろう。

このまま疎遠にはなりたくない。

   ・

   ・

   ・


さぁ、今回、日本で赴任することになった学校は、多くの可能性に秘めた学校のようだ。

でも、今の自分はこのエチオピアで学んだ経験と感動がある。

その経験と感動を胸に、今後も頑張って行きたいと考える。


最後に、


エチオピアでの体育隊員としての活動は本当にすばらしい時間を与えてくれた。


がしかし、自分がエチオピアにいく原動力となった

「弱者と呼ばれる人達に対する活動」、はほぼ何もできなかった。


自分は、『無力』でしかなかった。


彼らは、いつも「しげき×100」と温かく名前を呼んでくれた。

彼らは、いつも「ありがとう」と言ってくれた。時には日本語で。


その言葉に助けられることがすごく多かった。


でも、自分を少し外から見つめた時に出てくる答えは『無力だった』という結果だけだった。


この2年間だけを考えると『無力』でしかなかった。


でも、自分の人生はこの2年間だけではない。


これから延々と続く人生で、あの2年間は無意味ではなかったと思えるように、今後は、日本では自己研鑽に励み、次は、一回り大きくなって、もう一度、世界にチャレンジしたい。


そのためには、なんとしても大学院に行きたい。

もっと勉学を積んで、経験を積んで、人を動かせる、何もないところからでも形づくれる、チカラのある人間になりたい。


エチオピアでの経験が自分のスタート地点だったと言えるように、これから頑張って行こうと思う。


みなさん ありがとうございました。


では、帰国日の空港の様子。↓


しーちゃん先生のアフリカ滞在記 In Ethiopia
(ストリートチルドレン ガザハンニュ牧師)


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(体育セミナーのメンバー)

しーちゃん先生のアフリカ滞在記 In Ethiopia

しーちゃん先生のアフリカ滞在記 In Ethiopia
(見送りに来てくれたみなさん。ありがとう)


みなさん2年間ありがとうございました。


そして、これからもよろしくおねがいします。


「一生のお付き合い よろしくおねがいします。」




帰国前日&日本からの手紙やCDが届きました。

いよいよ、帰国前日。

明日は学校へ行って、あいさつをし、クラスマッチの決勝戦の審判をして空港へ向かう。

うーん。


帰りたくない・・・。しょぼん

せつない・・・。ショック!


気持ちを文字にあらわせない・・・。ショック!

あらわす気にならない・・・。しょぼん


では、先日、日本から届いた手紙やCDをお届けした様子の写真をアップしまーす。ニコニコ


しーちゃん先生のアフリカ滞在記 In Ethiopia

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東日本大震災から1年 in エチオピア

しーちゃん先生のアフリカ滞在記 In Ethiopia


ちょうど1年前、体育の授業をしていたら、おじいちゃん先生が、走りながら、

「今すぐテレビを見に来い。 日本が大変なことになっているぞ!!」

と教えてくれた。


テレビが設置されている学校内にあるカフェは、時間が止まったかのように、凍りついたかのように、全員が固唾をのんで日本の様子に見入っていた。


そして、みんなが、

『今すぐ家に帰れ!』

『家族に連絡しろ!!』


と言ってくれたのを思いだす。


そして、毎日、震災について流れるニュース。

どうすることもできない自分。

そんな中、いつもいつも、温かく声をかけてくれるエチオピア人に、癒されたのを思いだした。

そんな事を思い出しながら、1年前のブログを見返してみた。

ブログからエチオピア人の優しさがあふれ出ていた。

読み返して良かった。


エチオピア人は、1週間経っても、1カ月経っても、半年経っても、日本は大丈夫か?家族は大丈夫かと優しく聞いてくれた。


この前、日本と交流した時も、

「あれから1年経つが、日本は大丈夫なのかい?楽しく交流をできる状態なのかい?」

と心配してくれた。


マザーテレサが言った

「愛の反対の言葉は、無関心です。」の言葉とは全く逆のエチオピア人、いまだに自分の国を心配してくれ、思ってくれる。


ほんと素敵な国だと思う。


じゃあ、自分はどうなのだろう。


日本に帰ったら、自分に何ができるだろう。



1年前のブログより。
しーちゃん先生のアフリカ滞在記 In Ethiopia

日本の被災された人から、

「色々な所から届く応援のメッセージがとてもうれしい。」との話を聞き、国旗に応援メッセージを書いてもらった。


そして、隊員間で、色々な所で応援メッセージをもらう『メッセージリレー』を行った。


子どもたちは一生懸命にメッセージを書いてくれた。


しーちゃん先生のアフリカ滞在記 In Ethiopia

街頭でメッセージ集めをした時、『がんばって、あいしています』を日本語でどうかくのと聞いてきた子。、そして、日本語で書いてくれた女の子


こういった温かい思いが世界を包む事を願う。


日本の被災された方のこれからの幸せと、命を落とされた方のご冥福を祈ります。