源氏物語イラスト訳【紅葉賀167】瓜作り
「瓜作りになりやしなまし」
と、声はいとをかしうて歌ふぞ、すこし心づきなき。「顎州にありけむ昔の人も、かくやをかしかりけむ」と、耳とまりて聞きたまふ。
【これまでのあらすじ】
桐壺帝の第二皇子として生まれた光源氏でしたが、源氏姓を賜り、臣下に降ります。亡き母の面影を追い求め、恋に渇望した光源氏は、父帝の妃である藤壺宮と不義密通に及び、懐妊させてしまいます。
光源氏18歳冬。藤壺宮は、光源氏との不義密通の御子を出産しました。源氏は宮中の女官に手を出すこともなかったのですが、年増の源典侍(げんのないしのすけ)には少し興味を持って、ちょっかいを出しています。
源氏物語イラスト訳
「瓜作りになりやしなまし」と、声はいとをかしうて歌ふぞ、
訳)「瓜作り人になってしまおうかしら」と、声はとても趣深く歌うのが、
すこし心づきなき。
訳)ちょっと気にくわない。
「鄂州にありけむ昔の人も、かくやをかしかりけむ」
訳)「鄂州にいたとかいう昔の人も、このように 興味深かったのだろう か」
と、耳とまりて聞きたまふ。
訳)と、耳を止めて聞きなさる。
【古文】
「瓜作りになりやしなまし」
と、声はいとをかしうて歌ふぞ、すこし心づきなき。「鄂州にありけむ昔の人も、かくやをかしかりけむ」と、耳とまりて聞きたまふ。
【訳】
「瓜作り人になってしまおうかしら」
と、声はとても趣深く歌うのが、ちょっと気にくわない。「鄂州にいたとかいう昔の人も、このように 興味深かったのだろう か」と、耳を止めて聞きなさる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
■【瓜作りになりやしなまし】…『催馬楽』「山城」の「瓜つくり」のフレーズを歌謡をふまえる
※【瓜作り】…瓜を作る人
※【なり】…ラ行四段動詞「なる」連用形
■【や】…疑問の係助詞(結び;「まし」)
■【し】…サ変動詞「す」連用形
■【な】…完了(強意)の助動詞「ぬ」未然形
■【まし】…ためらいの意志の助動詞「まし」連体形
■【と】…引用の格助詞
■【は】…取り立ての係助詞
■【いと】…とても
■【をかしう】…シク活用形容詞「をかし」連用形ウ音便
※【をかし】…趣深い
■【て】…単純接続の接続助詞
■【歌ふ】…ハ行四段動詞「うたふ」連体形
■【ぞ】…強意の助動詞(結び;「心づきなき」)
■【少し】…ちょっと
■【心づきなき】…ク活用形容詞「心づきなし」連体形
※【心づきなし】…気にくわない
■【鄂州(がくしゅう)】…中国にかつて存在した州。武漢辺り
■【に】…場所の格助詞
■【あり】…ラ変動詞「あり」連用形
■【けむ】…過去伝聞の助動詞「けむ」連体形
■【昔の人】…いにしえの人
■【も】…強意の係助詞
■【かく】…このように
■【や】…疑問の係助詞(結び;「けむ」)
■【をかしかり】…シク活用形容詞「をかし」連用形
※【をかし】…興味深い。趣深い
■【けむ】…過去推量の助動詞「けむ」連体形
■【と】…引用の格助詞
■【耳とまる】…耳を止める。耳に留まる
■【て】…単純接続の接続助詞
■【聞き】…カ行四段動詞「聞く」連用形
■【たまふ】…尊敬の補助動詞(作者⇒光源氏)
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紅葉賀のこの部分、年老いた女官と若い貴公子たちのテンポのよいかけあいが続いていますが、
はたして『源氏物語』の作者・紫式部は、この老女の恋を、たんなる笑い話として描いたのでしょうか。
わたしは、それだけではないと思っています。
ここで出てくる「瓜作り」のフレーズは、
催馬楽(さいばら)という、平安時代に流行した歌謡の中のフレーズだそうです。
「山城の 狛(こま)のわたりの 瓜つくり
ナ、ナヨヤ、ライシナヤ、サイシナヤ
瓜つくり 瓜つくり ハレ、
瓜つくり 我を欲しといふ いかにせむ
ナ、ナヨヤ、ライシナヤ、サイシナヤ
いかにせむ いかにせむ ハレ、いかにせむ
なりやしなまし 瓜たつまでにや
ライシナヤ、サイシナヤ
瓜たつま 瓜たつまでに」
五・七・五・七・七の和歌とちがって、
なんとも伸びやかな、テンポのいい歌謡ですね。
このような、男女の伸びやかな恋の歌が多い催馬楽は、源氏物語でもよく引き歌として引用されています。
色めかしい男女のかけあいに、ふさわしいですよね。
雨上がりの神聖な温明殿で、
年老いてなお色好みの源典侍が、
「瓜作り…云々」の、若々しい催馬楽を引いて、琵琶を弾き語っている。
「年甲斐もなく…」と、光源氏はちょっと反感を持ったりもしていますが、それでも、この老高級女官の技量と教養を、興趣をもって眺めているようです。
「鄂州にありけむ昔の人」とは、白楽天の漢詩に出てくる琵琶を弾く女人をさすのでしょうか。
そんな、「いにしえ人」のような風情をかもし出す源典侍の雰囲気に、源氏は少なからず心惹かれ、このあと同じく催馬楽の引き歌で応酬したりもしています。
こうしたやりとりは、源典侍の挿話を、たんなる老女のお笑い恋話で終わらせるのではなく、年を重ねた高級女官との、機知に富んだテンポのよい、明るい話題を提供し、それぞれの人物が生き生きと描かれている感じがします。
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