昨日面白い夢をみたので、(「意識の9つのレベル」の後半ビデオの紹介はあとまわしにして(苦笑))夢のシェア。

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私は、何人かの人たちと一緒に、電車に乗って、どこかの目的地(終点の駅?)へ向かっている。

しかし、一緒に乗っている人たちは、終着の駅に着く前に、みな、亡くなっていく。
いや、「亡くなっていく」という言い方よりは、「非物質へと移行していく」と言ったほうがよい。

物質の存在のままでいるのは、私と、あともう一人の人物で、
ほかの人たちは、亡くなっていく。


子どもたちが多いように思う。

私も、子どもかもしれない。もう一人の人物も。

私と、もう一人の人物が、終着の駅まで行き着くようだ。

終着の一つ前の駅で、やはり、10歳前後の子どもが、非物質へと移行していく。
(悲しい感じは少しだけ。「死ぬ」というよりは、「高次界へと移行する」という感じなので、「爽やかさ」や「神聖さ」のような空気が、その「移行」には、伴っている感じ。)

なぜ、このような子どもたちが移行していくのだろう?

視界が、この子どもたちが移行していった先の場所になる。
この子どもたちが、列をなして、フィギュアスケートをすべっているようにみえる。
すべるように、踊っている、舞っているんだ。
フィギュアスケートのような、なめらかな、美しい舞い。

この子どもたちは、
ほかの、亡くなって間もない人たちを、「あの世」において迎え入れる(歓迎する)役割を、「フィギュアスケート的な舞い」を舞うことによって、担っているんだ、ということがわかる。

急に、これまでとは「勝手の違う」「あの世」にやって来た人たちが、
スムーズに、「あの世」のバイブレーションに同化できるように、
(思わず)見入ってしまうような、美しい「フィギュアスケートの舞い」を舞う役目を、この子どもたちは、担っているんだ、ということが感得される。

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起きたあと思ったことは
→子どもたちの中には、きっと、このような、「天使的」な役目を担う魂の者もいるんだろうな、ということ。
→「死ぬこと」を、「高次界への移行」だと捉えるならば、「爽やかさ」や「神聖さ」をもって、感じられたりするのだろうな、ということ。


「フィギュアスケートの舞い」が、美しかった (^^)


私(ともう一人)が行き着く、「終着の場所」は、一体、どのようなところなのでしょう? (^^)