今日は、東京都の西のはずれの青梅市で、バシャールのドキュメンタリー映画「ファースト・コンタクト」の観賞会を開いてました(^^)
ブログで告知せずにすみません^_^; >関東在住の方
ブログで告知すると、会場の上限キャパをオーバーするんじゃないかと思ったので^_^; 

 →実際その通りだったのでした^_^;

 

またそのうち開くんじゃないかと思うので、

そのときは、ブログでも告知しますね(^^)


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今日は、「赦し」ということについて、

ちょっくら書きます。

平田は、四年前にリサ・ロイヤルさんという米国在住のチャネラ―さんが、日本で毎年開いてくれている「チャネラ―養成講座」という講座を受講していました。

一年間のコースです。

自分が(ダリルさんやリサのように)ヴォーカルチャネリングができるようになるとは思っていなかったですが、バシャール大好きな自分としては、チャネリングにはめっちゃ興味があったので受講してみました。

受講後、半年ぐらいして、
チャネリングの練習会をしている最中に、
「すべては最初から赦されているのです」
と、自分はしゃべるようになりました。

「キリスト意識」に関係しているように、自分には思えました。

 

 ~ ~ ~ ~ ~

 

話が飛びますが(^^)

「原罪」という考え方は、
イエス・キリスト自身が考えたものではなく、
当時の人間(とその後の人間)のフィルターによって、
生み出されたものですよね。

(ちゃんと史実を調べてないけど^_^;)
バシャールが、「イエス・キリスト」について語るのをきいていると、
そのように思えます。

たぶん、「ビッグ・バン」と地球人が呼ぶ、
最初の「分離」が起こったときの体験から、
この「原罪」という感触は生まれているんじゃないかな、という気がします。

でも、その「定義付け」は、もう旧い定義付けだと思います。

「分離」したことは、「罪深い」ことではなく、
(「神」という言葉を使うなら)
「神」自身が、自分自身のことをもっとより知りたくて、
「神」自身が、自分自身を探索するために、
「神」自身が引き起こしたことなのですよね。

バシャールの用語で言うと、
The OneがAll That Isになり、
All That Isが、鏡のように砕け、宇宙中をあまねく自らのかけら達で埋め尽くした、
というストーリーですよね。

(宇宙中に「散らばった」とは書きませんでした、
 バシャールによると、「散らばった」(拡散した)わけではないそうです(^^))

ひとつひとつのかけらに映る様々なリアリティを(多種多様な体験を)、

The OneやAll That Isが自らの体験として体験したいと思ったから、

砕けたのですよね。

「分離」を、
「原罪」のようなものとして、痛みのような感覚をもって、
いまだに引きずる私達人間に対して、
「キリスト意識」のような存在が、
「すべては最初から赦されているのです」

と語りかけてきているような感じがします。

「原初の罪」=「原罪」というものが仮にあるとするならば、
それに対して、
「原初の赦し」=「原赦(げんしゃ)」というようなものもあってもいいんじゃない?

そんな気がしません?(^^)



物理的存在である私たちは、
どうしても「ネガティブ」なことを感じたり考えたりしますが、
ネガティブなことを感じたり考えたりする自分自身を、
自分自身が「赦す」(=そのままでいいと認める)ことが、
「二極性」から「トリニティ」へと至る上で、
けっこう必須のことであるように、平田は感じます。

分離のエネルギーよりも、
統合のエネルギーがより優るようになり始めた2012年12月以降、
「原罪」という考え方に対して、
「原赦(げんしゃ)」というアプローチが、
とりあえずは、有効に働いたりするかも、ネ。


ちなみに、
自分は心理カウンセラー(臨床心理士)として
ふだん、ごく一般的なカウンセリングの仕事をしているのですが、
この、「すべては最初から赦されているのです」と言うときのエネルギーに、
カウンセリングをしているときに

(自分は、そしておそらく相談者の人も)浸っているんだろうな、
ということを、
チャネラー養成講座を受けたあとから、
思うようになりました(^^)

 

自分は、

第三密度の物理的存在である平田が、

「このエネルギー」と(できるだけ)ブレンドしていけたらなと、

「このエネルギー」と(できるだけ)統合する方向へと向かっていけたらなと、

思っているのですケド、ね (^^)

 

 

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