「ほんとに、良かったんですか?」
「あぁ?」
「指輪.......」
「あー、うん」
だいぶお酒もすすんだところで、意を決してその話題に触れた。
俺の視線の先に気がついた櫻井さんが、グラスから手を離して、指輪のあった左手の薬指を右手でするりと撫でてから『こほん』と咳払いをして座り直した。
「えー、櫻井翔、先月より晴れて独り身となりまして、現在は呑気なおひとり様生活を送っております。
雅紀には折を見てきっちり報告しようと思っていたのですが、すっかり遅くなってしまって申し訳ない。
その節は背中を押してもらって、ありがとうございました。本当に感謝してます」
テーブルにおでこがぶつかりそうになるくらい深々と頭を下げた櫻井さんに慌てて手を伸ばす。
「え!ちょっと……!櫻井さん、頭なんて下げないでくださいよ!背中を押したっていうか、なんていうか.......俺、なんにも知らないのにすんごい生意気なこと言っちゃって.......」
櫻井さんは伸ばした俺の手を優しく握って、今度は困ったように笑った。
「あのな、コレは俺が決めたことなんだよ。俺がっていうか、俺と奥さんが、ちゃんと話し合ってお互い納得して、これが最善だって選んだことなんだよ。だから、この事で雅紀が負い目を感じる必要なんて何にもねぇからな?本当にお前には感謝してんだから、俺も奥さんも、さ。
っていうか、逆に雅紀の結婚への夢とか憧れとかそういうのに傷つけちゃったんじゃねぇかなって、そこはちょっと心配してる。
まぁ、お前は優しいし、いい奴だから、俺みたいなことにはなんないと思うけど.......」
「別に俺は.......結婚とかそういうのはまだ.......」
『まだ』どころじゃなくて、櫻井さんに惚れちゃってる今の状態なら、結婚なんて『絶対に無理』なんだけど.......
それよか、繋がれたままの手が気になって気になって仕方ない。
櫻井さんにはなんてことないことなんだろうけど、指先から伝わる櫻井さんの体温が俺の体温をどんどんどんどん上げていく。
「あ、悪い.......」
繋がれたままだった手に気がついて、櫻井さんがそっと俺の手を離した。
.......今なら.......
櫻井さんの温もりが残る手をぎゅっと握りしめる。
「櫻井さん、俺.......」
「あ、ごめんごめん。気が付かなかったわ。えっと、なに飲む?」
「え?」
「グラス、空じゃん、お前。今日はお疲れ様会だし俺の奢りなんだから、しっかり飲め!」
「あ、ありがとうございます.......って、そうじゃなくて、俺、櫻井さんに話したいことがあるんです」
「.......え?」
ドリンクのメニューの両端をお互いに持ったまんまで、櫻井さんの目が丸くなる。
「えっと、それは.......いいやつ?それとも悪いやつ?もっと飲んだ方がいい?それともやめた方がいい?」
眉根をぎゅっと乗せて言う櫻井さんの表情につられて、俺の眉毛もぎゅって真ん中に寄った。
「えぇと.......いいのか悪いのかは俺にはよくわかんなくて.......俺は飲んでも多分酔えないし、だけど櫻井さんは強めの酒が必要かもしれないです」
ドリンクのメニューと俺との間を櫻井さんの視線がゆっくり往復して、ふぅ、と小さく息を吐いてから『それじゃ、聞こうか』ってメニューから手を離して、櫻井さんがきちんと座り直すから、俺も慌てて座り直した。
「.......」
「.......」
いざ、伝えようと思ったら言葉と声が喉の奥に引っかかって何も出てこない。
揃えた膝の上で震えそうになる手をぎゅっと握りしめて、深呼吸したところで、櫻井さんの身体がゆらりと揺れた。
「.......ごめん.......やっぱ足崩していい?」
「あっ.......はい.......俺も正座はキツイっす」
「ごめんな?雅紀の話はちゃんと聞くから」
「いやあの、そんな畏まられても困るっていうか.......」
もう一度深呼吸して、櫻井さんの名前を口にしようとした時に『デザートをお持ちしました』って声と共にゆっくり襖が開いて、俺はがっくりと肩を落とした。