大人の作法 | Angel*Group/Official*Blog

大人の作法

夜中に仕事に行き詰まった時、自分には窮余一策があった。

苦吟していた机を離れ、冷蔵庫で冷やしておいた塩キャビアの小瓶を取り出すと、レモンを直接絞り込む。

これをつまみに、キッチンでのシャンパンの立ち飲み。

キャビアをそんなふうに食ってはいけない。

いけないのだけれど、その野蛮な行為で状況が変化する。

でもある日、外出先で、本物のキャビアを食わされた。

生きたまま輸入されたチョウザメを饗する直前にかっ捌く。

出てきたキャビアはグレーの宝石のようだ。

ドライマティーニを飲みながら、それを食べた瞬間、今までの「立ち喰いキャビア」の魔法はきかなくなった。

これからも出会うであろう、塩キャビアは、こんなものなんだ、と。

価値観の根幹が崩れた。

これは二重三重の不幸。

人は物を知れば知るほどある意味不幸になる。

お金でできる贅沢も、知れば知るほど窮屈になる。

いまでも塩キャビアはうまいと思うし、あの野蛮な食い方は自分なりの贅沢な記憶になっている。

結局は、知り過ぎた不幸を背負ったまま、いかに品良く我慢するか。

それが、大人の作法なのかもしれない。