以下、ここから引用。
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人には「吐く」タイプと、「下す」タイプがあるなぁと、
ふと思ったのでした。
「吐く」タイプの人は、受けいれかけたものを、
客間というか胃まで入れて、入口から帰ってもらう。
返品だとか、廃棄とか、「なかったことにしましょう」
というかたちで、危険に対処しようとするわけです。
「もうちょっとつきあってから決めればいいのに」、
とか、他人は思うかもしれませんが、
もともと縁がなかったと思えばいいので、
さばさばと「吐いて」しまいます。
「吐く」ということで、いちばん有名な小説は
サルトルの『嘔吐』かもしれませんが、
いちばん激しくも迫力ある表現は、
映画『千と千尋の神隠し』においての
カオナシの、津波のような嘔吐シーンでしょうね。
あらゆるものが、すべて未消化のままで吐かれるから、
もともとなにを飲みこんだのかが一目瞭然でした。
なんか、いまの時代は「吐く」ことで、
身を守っているという気がします。
人間は、「吐く」ことができますが、
動物みんなが「吐く」ことができるわけではなくて、
ラットやマウスなどは、吐けない動物らしいです。
もうひとつの「下す」タイプというのは、
とにかく飲みこんでしまって、体内をめぐらせて、
かなり消化も吸収もした後に、出口から急排出します。
どちらかと言えば、ぼくはこっちのタイプだと思います。
「吐く」可能性のある段階では、
まだ判断は早いとか思いたがるんでしょうかね。
いちおう、じぶんのなかにとり入れてから「下す」ので、
未消化でも使用済みですから、返品はできません。
ただ、いままでにない栄養がつくかもしれない、
という期待は「下す」タイプのほうがあるかもしれない。
「吐く」も「下す」も、味は味わえるんですよね。
見るとか触れるとか、味わうとか、できるのは同じ。
消化しようとするかどうかだけが、ちがうんですかね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なんにせよ、腹八分目が無難です。食べ過ぎは万病の元。
ここまで引用。
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吐くと下す、ちょっと考え深いなと思いました。
私はたいていのことは吐くかもしれないです。
目に見えていることは。という条件付きですが。
もしかしたら?と思うことは、とりあえず消化してみることにしています。
とりあえず、やってみてから考える。
やらないで後悔するのだけはいやだなと思ってる。
そうして危ない橋も渡る。笑
そんなこんなで、結婚はしてみようと思う。
新しい世界、悪くないよ。
その前に壁があるけど、それ超えられるならなんとかなるよ。