あのとき、第二原発もアウトになるのではないかと、ハラハラしていたのだが、本当にそうだった。これは以前から広く指摘されていた起きうる事故のパターンで、原子炉をどんなに防御しても、冷却用海水の組み上げポンプとその先のパイプだけは、どうしても海に出さざるをえないので、津波に弱いのである。ここがやられて原子炉連続爆発、というシナリオは、私がチェルノブイリのあとから、ずっとビビっていたパターンだった。

まさに間一髪だったのだ。よくもまぁ、ポンプの交換が間に合ったものである。

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第二原発もベントの準備していた…震災翌日に

福島原発
 東日本大震災の発生直後、東京電力が福島第二原子力発電所でも水素爆発を防ぐため、1~4号機すべてで格納容器の蒸気を建屋外部に放出する「ベント」の準備をしていたことがわかった。

 東電が10日、初期対応などの経過を記した資料を公表した。福島第一原発5、6号機では、水素爆発を防ぐため、建屋上部に穴を開ける措置を取ったことも判明した。

 発表資料によると、第二原発では震災当日の3月11日、1、2、4号機で原子炉冷却用の海水をくみ上げるポンプの一部が津波で故障、格納容器の圧力が上昇して破損する恐れが生じた。このため、翌12日に3号機も含めてベントを準備したが、ポンプのモーターを交換するなどして循環冷却で原子炉を100度未満に冷やすことができ、ベントは行わなかった。

 東電はベントを第一原発1~3号機で実施したものの、4号機も含めた4基で水素爆発などが起きた。

(2011年8月10日11時53分 読売新聞)