今日、ソウル大学の学会でレセプションがあり、マイクが回ってきた。みんな、当たり障りの無い料理の話とかをしていたので、こりゃ浮くなぁ、と思ったが、昨日、ブログに書いた話をした。みんな、真剣に聞いてくれていたように思う。少なくとも、感情的反発は受けなかった。

ただ、「蟹の海」案は受け入れられたわけではなさそうだが、それは仕方が無いというものだろう。しかし、「日本海」周辺国で新しい名前を考えよう、という提案は、賛成されないにしても、歓迎されたと思う。

1995年にソウルで行われた戦後50年記念シンポジウムに呼ばれたとき、そこで日本人のある老人が
「次のワールドカップは、日本と韓国で争うのではなく、日韓共催にしましょう!」と発言した。その人は、植民地時代に、中学校の体育の先生だったのだが、朝鮮人を差別しない偉い人だった。そこの中学校の教え子からは、総理大臣が4人はじめ、韓国・北朝鮮の高官を多数輩出しており、韓国人は先生を大事にするので、日本ではなんてことない普通のご老人なのだが、韓国では国賓級なのであった。

そのシンポジウムは、朝日新聞と朝鮮日報(だったと思う)との共催で、船橋洋一とか両社の有力記者が沢山きていた。それでも、そう簡単に共催にはならんだろう、と思っていたら、本当に共催になったので驚いてしまった。何でも言ってみるもんだな、と感心した次第である。

今回ははるかに小さい学会だが、これをキッカケに、何か良いことが起きて欲しいと念願する。