自主避難者は、すぐに逃げた人だけ賠償する、という方針がほぼ確定しているようである。

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「事故当初」は「恐怖心から避難するのは合理的」として賠償対象とすることで一致。区切りについては、政府が計画的避難区域などの指定を発表した4月11日か、指定日の同22日が検討されている。
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ということで、だとすると、「福島は心配ない」と言って回った御用学者の責任は更に重い。あれさえなければ、怖いと思った人は、無理をしてでも逃げただろう。一ヶ月以降に逃げた人は、そういうことを言った御用学者を相手取って、自主避難賠償相当額を求める裁判を起こしたらどうだろうか。そうすれば、そういう人物も事態の恐ろしさを理解して、もっと遅くまで「事故当初」と認めるように、政府に働きかけるかもしれない。

御用学者以外にも、すぐに動く必要はない、という主張をして回った人々には、何らかの方法で、自主避難者の皆さんの恨みや怒りや悲しみを、直接に表明するべきだと思う。そうしないと、怒りや恨みや悲しみが溢れ出して、自分の身体や家族にダメージを与えることになる。

怒りや恨みや悲しみは、それを向けられるべき人に対して正しく表現されたなら、傷つけられた魂を癒す力になる。それに、そのように勇気を持って表現されたなら、周辺の人々にも伝わって、事態を変える力になる。

逆に、被害者が加害者に救済を「懇願」したり、あるいは「風評被害だ!」とかいって、被害者が加害者でない人に対して八つ当たりすると、傷を深め、害悪を連鎖させ、事態を混迷に導く。いま主として起きているのは、後者である。なぜなら、加害者が自分を免責するために、マスコミやら権力やらを動員して、そのように誘導しているからである。

いま、行動を起こさないと、この方向で固まるだろう。

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「事故直後から不安で仕方がなかった。でも国や東電が『大丈夫』と言い続けてきたのを信じて残ったのに……」。福島市の主婦、菅野千景さん(46)は悔やむ。中1(13)と小2(7)の娘2人を連れて京都市の公務員住宅に自主避難したのは、8月末になってからだ。
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政府や東電のような連中を信じるとどういうことになるか、日本国民はこの菅野さんの証言から学ぶ必要がある。前にも書いたが、中国の山奥の農村で福島の事故の話をして、政府は安全だと言い続けている、と言ったら、

「そりゃあ、政府は<穏定>(=安定)を求めるから、そういうよ。」

と笑っていた。中国人には、それが常識である。



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福島第1原発:自主避難者賠償 「早い者勝ちだったの?」

文部科学省原子力損害賠償対策室の担当者を前に、賠償対象の拡大を求める要望を読み上げる自主避難者の女性=東京都千代田区の参院議員会館で2011年10月3日午後3時過ぎ、袴田貴行撮影

 東京電力福島第1原発事故のため自主避難した人たちの間で、賠償への「線引き」に困惑が広がっている。文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が先月、事故後1カ月程度の間に避難したケースには賠償を認める方針を固め、その後避難した人は「検討課題」と先送りにしたためだ。「避難は早い者勝ちだったの?」「汚染の実態が分かったのは最近なのに」。3日東京都内で開かれた集会には避難者ら約120人が集まり、線引きをなくすよう訴えた。

 ◇対象は事故後1カ月程度 「国信じ残ったのに…」
「事故直後から不安で仕方がなかった。でも国や東電が『大丈夫』と言い続けてきたのを信じて残ったのに……」。福島市の主婦、菅野千景さん(46)は悔やむ。中1(13)と小2(7)の娘2人を連れて京都市の公務員住宅に自主避難したのは、8月末になってからだ。

 自宅は原発から約60キロ。すぐに避難することも考えたが、マイホームのローンを抱え、夫と離れ離れの生活になることはためらわれた。中学入学を控える長女の心情も考えた。生まれ育った故郷・福島への愛着もあった。

 住んでいる地区の放射線量が比較的高いと知ったのは6月になってから。講演会や市民団体の集会に参加した。線量の数値や評価がこれまで聞いていた話とは違っていた。

 自宅の線量を測ると、2階の子供部屋が毎時0・95マイクロシーベルト。平常時の屋外の20倍で、水ぶきしても数値は下がらない。娘たちには長袖にマスク姿で通学させる日々。「この状態が続くなら」と2学期の始まりに合わせた避難を決めた。

 審査会は先月21日、自主避難者への賠償に関し、避難時期を「事故当初」と「一定期間後」の二つに区切って議論することを決めた。「事故当初」は「恐怖心から避難するのは合理的」として賠償対象とすることで一致。区切りについては、政府が計画的避難区域などの指定を発表した4月11日か、指定日の同22日が検討されている。

 菅野さんはやるせない。「冷静に行動しようと思い、事故直後は踏みとどまってしまった。影響が出るかもしれない子供たちに申し訳ない上に、補償も出ないなんて」。引っ越し代や二重生活の費用がかさむ。

 ◇迷ううちに時間が
 東京・永田町の参院議員会館で3日開かれた集会では、福島県郡山市から静岡県に自主避難した長谷川克己さん(44)が発言に立った。長谷川さんも8月中旬に避難した。

 妻(35)の妊娠が2月に分かり、その直後の原発事故だった。5歳の長男もおり、福島で育てることに不安を感じた。一方で、福祉施設運営会社取締役として働き、長男が通う幼稚園のPTA会長も務めていた。「自分たちだけ逃げることが許されるのか」と迷ううちに時間がたった。避難を決意したのは、局地的に線量が高いホットスポットを取り上げたテレビ番組で紹介された数値が、長男の寝室と変わらないと知ってからだ。

 避難先では新たな仕事を見つけたが、1カ月で失業した。「賠償されれば生活は助かる。しかし何より、自主避難が、愛する家族を守る正当な手段であったと認めてほしい」【安高晋、袴田貴行】

毎日新聞 2011年10月4日 0時39分(最終更新 10月4日 1時05分)