$マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩

安冨歩・本多雅人『今を生きる親鸞』樹心社

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本の校正が三冊同時に集まるという地獄のような事態を最初に抜けだしたのが、この本である。これは、5月13日に、京都の東本願寺で行われた講演会での対談をもとにしたものである。このシンポジウムのタイトルが「今を生きる親鸞」だったので、それに倣って本のタイトルとさせていただいた。お読み頂けばわかると思うが、マイケル・ジャクソンの思想とも深く関係している。

http://www.higashihonganji.or.jp/info/photo/detail.php?id=195

このシンポジウムの「御遠忌」というのは、親鸞聖人が亡くなってから、五十年に一度行われている巨大な法事のようなもので、今年はなんと750年目である。その記念のシンポジウムに呼んでいただいたのであるから、対談させていただいた本多雅人さんと本を出すことにした。

さて、本多雅人さんは蓮光寺というお寺の住職さんである。蓮光寺の住所は、

東京都葛飾区亀有1-25-31

である。亀有公園から徒歩十二分で、聞くところによると、漫画にも似たような様子の寺が似たような名前で出ているらしい。本多住職は寺のHPに、

「「亀有」というだけに、蓮光寺池には大きな亀が生息しています。亀を目撃した人には、良いことがあったり悪いことがあったり何もなかったりします。」

と絶対に正しいことを書いているように、間違ったことは一切言わない人である。

この本の主たるテーマは原発事故である。この恐るべき事態を本多さんは「人智の闇のあらわれ」と受け止めて、問を自らに向けることの大切さを指摘している。ここで二人で論じたのは、どうやってそれを受け止めたらいいのかを、親鸞の思想を手掛かりに考えよう、ということである。

私は本多さんから多くを学ぶことが出来たので、この本を書かせていただいて本当にありがたかったと思っている。私は「親鸞ルネサンス」というプロジェクトを推進しており、この本はそのスタートを宣言するものでもある。本多さんの書いてくださったすばらしい文章のさわりの部分を以下に引用しておく。ここで本多さんが論じているのは、親鸞の『歎異抄』のなかの、

「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」

という言葉を念頭に置いた話である。

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<「愚」に帰る>

真宗大谷派(京都・東本願寺)から発行されている『同朋新聞』に「人間といういのちの相(すがた)」という特集が毎回掲載されています。・・・登場された方は、それこそ様々ですが、ここではベトナム戦争の帰還兵であったアレン・ネルソンさんについてお話ししたいと思います。なぜなら、大震災、原発事故を通して、ネルソンさんの生きざまをもう一度尋ね、学び直したいと思ったからです。

ネルソンさんは、ベトナム戦争から帰国後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみました。いわゆる戦争後遺症で、戦争をありありと思い出すフラッシュバックや苦痛を伴う悪夢といった形で、戦争の再体験をして苦しんだのです。

戦場で目の当たりにした殺戮やあらゆる暴力、そして自らも多くの人々を殺したことが片時も頭から消えず、その惨劇が悪夢となって毎晩のようにネルソンさんを襲いました。

ちょっとした匂いや音でもすぐ戦闘状態に戻ってしまい、帰国後わずか一週間で家族から追い出され、ホームレスの生活を余儀なくされたのです。まさしく「生きる場」を失った苦しみです。

ネルソンさんは、その耐えがたい苦しみから、自殺を試みたのです。彼と同じように苦しむ帰還兵で自ら命を絶った仲間は数万人にのぼると言われています。

 その、ネルソンさんが立ち直ろうとしたきっかけは、ある一人の少女との出遇いでした。ホームレスを続ける彼が、学生時代の友人である教師に頼まれて、小学校でベトナムの体験を話すことになり、四年生の教室に立ちました。しかし、いざ子どもたちの前に立つと、ジャングルで自分がしてきたこと、見てきたことをありのままに語ることはできなかったので、戦争一般の恐ろしさを話してその場をやり過ごしたのでした。

そんなネルソンさんに一番前にいた女の子が質問したのです。「ネルソンさんあなたは人を殺しましたか」と。ネルソンさんは、そのことこそ、どうしても忘れてしまいたい、思い出したくない、消し去りたいと思っていたことなので、答えることができず、目をつぶって下を向いてしまったのです。様々なことが頭をよぎりながら、最後に目をつぶったまま小さな声で、しかしはっきりと「イエス」と答えたのでした。

すると、苦しそうな彼の姿を見て、質問した女の子は彼のところまできて彼を抱きしめました。彼が驚いて目を開けると彼のおなかのあたりで目に涙をいっぱいためた少女の顔がありました。「かわいそうなネルソンさん」。そういってまた抱きしめたのです。

その一言を聞いたとたん、彼は頭が真っ白になり、大粒の涙が彼の目からあふれ出たのです。教室中の子どもたちが皆かけよって彼を抱きしめました。子どもたちも先生も皆泣いていました。

「この時私の中で何かが溶けた」とネルソンさんは述懐しています。それまでネルソンさんは涙すらも戦争に奪われていたのです。自分の境遇を恨み、自分の選択を悔み、自分自身にも世の中にも愛想が尽きて、自ら命を絶とうともしたのです。そんなことになった自分をどうしても受け入れることができなかったのです。しかし、少女の涙が、その一言が、彼の心を溶かしたのです。そのことによって、ネルソンさんは立ち直る決心をしたのでした。

「かわいそうなネルソンさん」という言葉が、同情や上から目線で発せられたならば、ネルソンさんはけっして立ち直ることはできなかったでしょう。この言葉ひとつに込められたこととは何だったのでしょうか。
少女は、ネルソンさんの姿を自分のことといただいたのです。業縁を生きる存在であるならば、縁によっては自分もそうなるであろうと。

ここに業縁に貫かれた「われら」の世界が開けていたのではないでしょうか。ネルソンさんの置かれている状況の悲しみを包んで、人間存在そのものの悲しみまで語っている言葉だったのです。この言葉によって、ネルソンさんは自分をまるごと受け止める世界にふれたのです。

ただまるごと受け止められたのではなく、自分の境遇を恨み、自分の選択を悔み、自分自身にも世の中にも愛想が尽きて、自ら命を絶とうともした、その自分の愚かさを自覚して、新たに生きる意欲を持ったのです。

ここに否定即肯定が成り立っていました。自我分別(自力)が否定されると同時に、その自分がまるごと受け入れられている。そこに自覚を伴った真の救いを見ることができます。現状は変わらなくても生きていくことができる、これこそ救いです。

「かわいそうなネルソンさん」とは、ネルソンさんを無条件にまるごとつつむ言葉であり、同じ人間として生まれてきた悲しみの共感をもった言葉でもあり、同じ愚かな凡夫と言う地平に立った言葉だったのです。ネルソンさんは言い当てられた言葉に出遇ったのです。その言葉によって、自分の自我分別(人知)を破って、その意識構造よりもっと深いところで生きている願いに目覚めていったのです。

この言葉こそ、本願の言葉であり、南無阿弥陀仏そのものだったのではないでしょうか。まさしく本願力回向です。

========追記:「さわり」の意味=========

さわり〔さはり〕【触り】
1 さわること。また、触れた感じ。感触。多く他の語と複合して「ざわり」の発音で用いられる。「手―」「舌―」「肌―」

2 人に接したときの感じ。人あたり。

「女のたちが、少し私には―が冷たいからだろうか」〈三重吉・桑の実〉

3 《他の節(ふし)にさわっている意》義太夫節で、義太夫節以外の他流の曲節を取り入れた部分。

4 義太夫節の一曲の中で、一番の聞きどころとされる箇所。

5 4から転じて、広く芸能で、中心となる見どころ・聞きどころ。また、話や文章などで最も感動的、印象的な部分。「小説の―を読んで聞かせる」

6 三味線の音響装置。また、それによって出る音。上駒(かみごま)から約1センチ下までの棹(さお)の表面を浅く削り、一の糸を上駒から外して軽く触れるようにする。複雑なうなり音を生じる。

◆5は、「最初の部分」と誤用されることが多い。文化庁が発表した平成19年度「国語に関する世論調査」では、「話のさわりだけ聞かせる」を、本来の意味である「話などの要点のこと」で使う人が35.1パーセント、間違った意味「話などの最初の部分のこと」で使う人が55.0パーセントという逆転した結果が出ている。

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