青灯社の近刊案内に、拙著『生きる技法』の宣伝が出ていたので、リンクしておく。

http://www.seitosha-p.com/kinkan/

この本はもともと、某新聞社から出るはずの本であった。ある編集者が私になにか書いて欲しい、と頼みに来てくれて、その人と話しているうちに盛り上がってきてあっという間に8割ほど書いてしまった。ところが、一度は編集会議に掛かっていたはずなのだが、内容が当初の予定と変わってきたからというので、もう一度会議にかかったところ、営業が

「著者の専門と、書いている内容とが合致しないので、どの棚に入れたらいいかわからないから、営業がやりにくい」

というようなことを言って、潰されてしまったのである。

こういうことはほかにもあって、ビジネス本をたくさん出しているある出版社から、私の話をライターさんに書いてもらって出すという話があり、会議も通ってライターさんと編集者に膨大な時間を掛けて何度も話をしたのだが、どういうわけか本がまとまらなかった。なぜまとまらなかったのかというと、編集者が考えていたカテゴリーに私の話がはいらないのに、無理に入れようとして失敗したのである。1年以上たって、無理だということがわかって、方針を変更して再開することになったのだが、「話が変わったので、念の為に会議に掛けます。」というから、「それをやったら絶対に出ないから、本を作ってしまってから、『実はこういうことになりました』と言わないとダメだ。そのくらいのガッツがないと、仕事なんてできないぞ」と言ったのだが、編集者が弱気になって会議に掛けてしまった。すると案の定、「それでは営業ができない」という理由で、潰されてしまって、私は時間を大幅に損してしまった。

なぜこんなことが繰り返されるのかというと、それは、「カテゴリー」とか「セグメント」とかいう発想が蔓延しているからである。人間でも作品でも、何らかの名前のついた入れ物に分類しないことには、気が済まないのである。本の場合も、著者の分類と、作品の分類があって、それに応じて本屋の棚が作られている。それゆえ、著者の分類と作品の分類が一致しないと、本棚に入れてもらえない。あるいは、どの棚に入れたらいいかわからない本は、どんなに売れそうでも、入れるところがなくて、そもそも書店に並ばないのである。

私の書く本はどれも、そういうカテゴリー化・セグメント化というものは、本質的にハラスメントなので、やってはならないことであり、そんなことをしているから「創発」が起きず、価値が生み出されないのだ、と主張している。こんなことをしているので、本がサッパリ売れなくなるのだ。これは書籍に限らない。日本社会の全ての学校・全ての機構・全ての組織・全ての事業が、カテゴリー化・セグメント化の罠にかかっており、それが社会を停滞させ、窒息死そうな息苦しさを生み出しているのである。そういうことを主張している書籍は、必然的に、カテゴリー化・セグメント化になじまず、本棚に並ばないので、ちっとも売れないわけである。

それで今般、青灯社さんが、この売れないはずの本を出す、という冒険に踏み切ってくださって、宙に浮いた原稿が陽の目を見た。ありがたい限りである。

それにつけても、こういった枠を遥かに飛び越えてしまったマイケル・ジャクソンは、本当に偉大だと思う。