祖母 | エリーと私

祖母

以前に書いてた頃にも時々祖母の話を書いた事があります。

実は今年の2月10日に96歳で永眠しました。

祖父は施設に入って家に戻る事なく亡くなり、今年が五回忌。
祖母の独居はかなり長いものでした。

少しずつ老いて、出来る事が少なくなる祖母をサポートしたり、見守ったり。
昨年は全く世話をしようとしない両親にブチ切れて、交渉の結果、私が父の代理として祖母の介護をする事に了解を得ました。

それまでの主治医も色々な意味で不信だらけだったので、入念な情報収集と次の主治医の段取りの上、半ば強引に転院。

そして、96歳にして初めての介護認定。
でも一回目は父が立ち会ってしまって、支援1だったので、再判定を依頼し、今度は私が立ち会って要介護2の判定となり、ヘルパーとデイ利用をスタート。

安心感からか、みるみる出来る事が少なくなり、痴呆も分かる程になってきました。
ケアマネが本当に素晴らしい方だったので、祖母の急病時にも、真っ先に駆けつけてくださったり、文字通り、公的サービスにて、独居の祖母を見守る昨年でした。

急変したのは、年末年始。
介護サービスがお休みになり、私は、朝から晩、祖母が寝るまで食事や入浴介助などをサポートするお正月を過ごしました。でもみるみる痴呆が進み、食欲も衰える祖母。

4日にデイのお迎えでケアマネが来てくださった朝、慌てて駆けつけた私の事も分からなくなり、立つことも話す事も出来なくなっていました。

1/4に入院。検査上は異常はありませんが低体温。
暖かい病院で約一週間過ごし、退院先を、祖母の家ではなく、うちに引き取ると突然言い出した私の両親。

祖母は一人気ままな生活を手放すのをためらっていたけど、私がいる家に住むのをとても喜んでいました。
でも、心配した通り、愛情のない両親の自己満足的な、一方的な介護。

祖母はありがたいと言っていたけど、やむなく自ら、食事をするのをやめ、ベッドから起きるのもやめ、自ら死を待っていたのだと思います。

ベッドの中で冷たくなっていたのは、丁度一ヶ月後の2/10の朝でした。

2/21の97歳の誕生日をお祝いしたかった。
4/8のデイサービスの旅行、一緒に行きたかった。