知られざる歴史 ~日本とハワイの関係 | 日本と中国の真実に迫る!

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長谷川です。

 

その昔、ハワイは独立王国でした。

 

そして、日本とも交流があったのです!

 

○日本とハワイの親善協定

 

 

ハワイ王国と日本との間には1867年に日布親善協定

 

締結して外交関係が樹立された後、
1868年には日本から民間の第1号移民団153名がハワイに渡りました。


これは明治元年に相当するため、ハワイ移民のパイオニアである

彼らは「元年者」と呼ばれています。
ハワイ王国はこの後も日本人移民を積極的に受け入れたため、

21世紀の現在でもハワイには日系人が多く居住しています。

当時の東京にはハワイ王国公使が駐在しており、

群馬県の伊香保温泉にはその別邸も現存しています。

 

○日本とハワイの連邦化を提案されていた…

 

 

1881年、世界一周旅行の最初の訪問国として来日した国王カラカウアは

 

明治天皇に謁見した際、
ハワイ王国の安泰のため日本とハワイの連邦化を提案しています。




 

その時のカラカウアからの提案は次の通り
・日本・ハワイの連邦化
・日本・ハワイ間のホットライン敷設
・日本主導によるアジア共同体の創設
・カイウラニ王女と山階宮定麿王の縁談

・同じ有色人種である日本人のハワイへの移民

(当時のハワイは西欧からもたらされた疫病により、原住民の人口が激減していた)

 

 

日本政府はアメリカとの対立を避けるため、
これらの提案を「良友 睦仁」の御筆の入った親書をもって丁重に断りました。

 


○日本からハワイへの移民は増えた・・・

 

しかし、移民の促進に関しては問題がないと考え、
1885年には日布移民条約が締結され、

 

官製移民団が組織されるようになりました。

官製の移民は1885年から1894年まで続き、

総計29,339人がハワイに渡ったのです。

 

1893年のクーデターの際、明治政府は「在留邦人保護」を名目として、
巡洋艦「浪速」(艦長:東郷平八郎大佐)、

 

帆走コルベット「金剛」をホノルル港へ派遣し
米艦ボストンの真横に投錨して新政権を牽制しました。

 


 

 

これは王国政府側からの要請であったという説もあり、

 

それを裏付けるかのように東郷は新政権を完全に無視し、

リリウオカラニ女王の側近とのみ接触しています

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

その後、ハワイは、アメリカによる王女の幽閉などを行い

 

力で押さえつけのアメリカ合衆国の1州としてしまいました。

 

今は語られることのない歴史です。

 

 

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