あんちょママの寝言 -2ページ目

あんちょママの寝言

マニアックおばちゃんのしゃべくり

先日、スッキリでつんくに密着の最終日を会社遅刻してまで観てた(おいっ!)んだけど、そう、それはyasuを重ねて観てたからなんだよね。

唄うことよりも生きることを選ぶ…ボーカリストにとって究極の選択だったと思う。


それとは違い、生きることより唄うことを選んだのは清志郎かと。

今はもう居ないけど。

でも、いまだにTVつけてると、清志郎の歌声が流れてくる。

この世に居なくなったとしても歌は消えない。


活休から2年目に入った時、もう昔のように歌えないのでは?もしかしたら復帰も難しいのでは?と考えるようになった。

そんなモヤモヤざわざわの時にあのコメントは正直つらい。

でも、本人はもっとつらいんだろうな…と思う。


あたしはジャンナーではなかったけど、ジャンナーからしたら解散がどんだけ悲しいものだったか…

ジャンヌを止めたのはyasuだとずっと思ってた(本人が言ってたよね?)けど、昨日の文面からすると、それも微妙に違うなと。PCに音源がないってのはさすがに驚いた。


ライヴに行く行かないってのは自分で決められる。

以前から何度も言ってるけど、行きたいと思っても観れなくなる日が来るかもしれない。

それはある日突然やって来るかもしれない。

そう思ったら、周りに何を言われようが、アホじゃね?と思われようが、ある程度は無理してでもライヴに足を運んだ方がいい。

会えなくなる日が今日かもしれないから。


それは自分にだって言えること。

目覚めない朝がいつかはやって来るから。

人はこの世に生まれた日から死に向かって歩いてゆくのだから。



yasuの良さってなかなかファン以外には伝わりにくいというか、それは誰にでも言えることかもしれないけど、ホント、改めて思うわ、いい漢です。

いつの日か、ステージに戻って来てくれると信じてます。

でも今は、とにかくゆっくり休んで、元気になって欲しい。

ただし、あたしがヨボヨボのおばあちゃんになってボケる前までにお願いします(笑)


K.A.ZのROOM更新。

つら。。。

正直、どんな顔で…どんな気持ちでツアーファイナルを見たらいいのかわからなくなった。

1つの仮説が頭をよぎる。
言葉にも文章にも今はしたくない。
そっと心の奥にしまっておこう。
昨年の12月から始まったツアー。
ライヴを重ねるごとにバンドもいい状態に仕上がり、新曲も1曲から3曲へと増えた。

そんな中、不意に飛び込んできたK.A.Z骨折のニュース。しかも、残り5本のライヴには参加出来ないとのこと。

いろいろな意味で衝撃が走った。




九州遠征は当初から予定していたので、オフィから払い戻しの告知やメールが来てもライヴに行くのを辞めようとは思わなかった。

K.A.Z不在のライヴ。
そんなライヴを経験するなんて思いもしなかった。それは、メンバー、スタッフ、ファン全ての人に言えることだろう。

何故骨折したのか。何をやらかしたのか。
ブーツをインスタに上げた後ということもあって、スノボでやったの?と憶測が広がる。
普通に考えたらスノボで、でも普通に考えたらスノボじゃないだろ。謎だ。とにかく謎だ。
でも、起きてしまったことをあーだこーだ言っても仕方ない。

中には、K.A.Zに対して、何やってんの!と憤慨してる人もいるだろう。
でも、骨折したことは事実で仕方ないんだよ。
それよりも、ちゃんと治るの?ギターはちゃんと弾けるの?
むしろ、そっちの方が心配で気が気じゃない。

K.A.Z不在の初日、熊本公演。
KENがどれだけ不安だったか…
そんなことを思いながらライヴを見てたら、目からシャワーが。
もちろん、RIKIJIもサポメンもスタッフもそれぞれの想いがあったと思う。

ライヴは楽しかったんだよ。
でも、時間が経つと心にポッカリと何とも言えない穴が開く。
何だろね〜この虚無感。
一体感のあとの虚しさ。

あと、3本でツアーも終わる。ツアーが終わった時にまた何とも言えない気分を味わうんだろうな。良くも悪くも。

とりあえず、皆さん、怪我には注意しましょう。

皆さんお久しぶりです。

日本は…というか、地球はどうしちゃったんでしょうねぇ。
天災の前では人はどうすることも出来ず、全てを受け入れるほど、人は強くない。
でも、明日に向かって生きてくしかないのよね。



断捨離。

「断」入ってくる不要なモノを断つ
「捨」不要なモノを捨てる
「離」モノへの執着から離れる


単純にモノを捨てることだけが断捨離という意味ではないようです。



実家はあたしが子供の頃から引っ越しを繰り返し、あたしが家を出たあとも2回引っ越したのよね。だから、今の家は何の未練もなく、あたしのモノもない。

2回も引っ越したのに、亡くなった父が処分せず持っていたモノがある。

花嫁人形。


結婚式場の打合せの時に、演出やら料理やら引出物やらいろいろ決めるじゃない?
披露宴の演出と言ったらケーキ入刀、キャンドルサービス等いろいろあるけども、結構派手にやらせていただいた方σ(・_・)笑

その中で「花嫁人形」というのがあって、お嫁に行っちゃうからこれからはこの人形をあたしだと思ってねー的な意味合いだったと思う←

オプションでその人形を見て、欲しい…って言うのよ、父が。
え?‪(・∀・)‬いるの?って聞き直すじゃない?
そしたら、欲しいって(苦笑)
いらんでしょ?ってゆー意味で再度聞く。
でも、欲しいと…

そこまで言うなら仕方ないと思い、オプション追加。
披露宴では、その人形を父に渡すとゆー演出が。
お涙ちょうだい的な演出で、司会の人ももう、うまいうまい!

式後は父と花嫁人形と猫の同居生活が始まったわね(笑)
そんなにかわいい娘じゃなかったσ(・_・)と思うけど、引っ越すたびにあたしの分身をちゃんと持ち歩いたみたい。

そんな父も亡くなり、母の寝起きをベッドにした時にタンスの移動やらをして、タンスの上に飾られていた花嫁人形は片付けられた。とりあえず片付けただけ。


母が弟夫婦と同居することになり、また引っ越すことになった。弟の家に行くから、これで実家と呼べるものが完全になくなったなぁ。元々、今母が住んでるところに執着はないけど、あたしが帰る場所はどこにもないんだなぁって。
まぁ、それはそれでいいとして、今回はかなりのモノを処分しなきゃいけなくなった。電化製品もね。
そして、そこで出てきたのが花嫁人形。

人形供養に出さなきゃいけないじゃない?
調べたら直近では今日しかなかった。
みんなで行こうか的な話になったんだけど、同じ区に住んでるとは言え、行ったり来たりが大変だな…と。しかも持ち込むところは、あたしの家から直接行った方が近いのよ。
なので、昨日のうちにあたしが人形を預かり、あたし一人で行くことになった。


複雑な気分になった。
あたしの分身をあたし自らが捨てるという。

正しくは人形供養だ。
でも、あたしからしたらあたしがあたしを捨てるとしか思えなくて。
一応、お気持ちを少しとお焼香を。
何故か、抽選のガラガラ回すやつがあってラップをいただいて帰って来たわ(笑)

今まで何回か人形供養をしてもらったことはあるけど、あたしの分身の供養はおそらくこれが最初で最後だと思う。
でも、父が処分出来なかったモノ(あたし)をあたしが処分出来てよかったのかもね…とも思う。
結果オーライ!←ポジティブ




PS. あたしはム所に行くわけでも、◯捨山に行くわけでもありませんので…笑