こんにちは。sncです。




最近は、大学で研究について具体的にどうしようかと考えることが多いので、
その中で考えてきたことについて書いていこうかと思います。




私は、東日本大震災の被災地へよく行くことがあるのですが、まだまだ被災地の復興は進んでいないといえます。




水道が通らないとか、土地のかさ上げが済んでいないとか、未だに多くの方が仮設住宅に住んでいるとか、そういった目に見える形での復興もこれからという感じなのですが、それよりも重要なことだと思うのは、被災した方々がこれから何を目的として生きていくのか、そして、直接には被災していない私たちが東日本大震災という1000年に1度と呼ばれる未曽有の大震災から何を感じ、何を教訓として生きていくのかということを被災しているかいないかに関わらず共に考えていくことだと思います。




皆さんは、東日本大震災から何を感じ、何を思い、自分自身の生活にどのように還元してきたでしょうか?




いまやテレビや新聞からは震災に関する記事はめっきり減り、震災があったことを感じる機会も減少していると言えます。






私が住む仙台でも3年半前に震災があったことを感じさせるような光景はほとんどないと言えます。



仙台の商店街 / zenjiro


東日本大震災を通して、私自身が一番疑問を感じるようになったことは、



「突然、あらゆるものを失うと人はどのような状態になるのか?」

という問いです。



少々、重い内容ですが、これは考えざるを得ないし、



自分がその立場だったら…

大切な人をなくしていたら…



と思うと、その解答を解決せずに、前に進めないような気がします。




具体的な数値で考えてみると、
日本においては、一日当たり3280人の人が亡くなっているそうです。(参考資料:日本の一日-厚生労働省)




大半ががんや脳、心臓の疾患によって亡くなっていますが、87人が"自殺"によって命を落としているのが現状です。




毎日87人が自らの命を奪うというのは、生きたいと思っていたけれども生きることができなかった人達に対してはどう説明すればよいのでしょうか?




ただ、自殺の要因は単純ではないし、それを考えるとこれは日本社会全体の問題だとも捉えることができます。




これだけの人を自殺に追い込む社会って…どうなの?


社会のあり方そのものを問い直すことも考えなければなりません。




このように東日本大震災という問題一つを考えることは、日本の在り方、世界の在り方、個人の在り方を問い直すことにつながることを感じてブログに書かせていただきました。



私たちが学んでいる統一原理にはこうあります。



人間は長い歴史の期間にわたって、人生と宇宙の根本問題を解決するために苦悶してきた。
けれども、今日に至るまで、この問題に対して納得のいく解答を我々に与えてくれた人はまだ一人もいない。それは本来、人間や宇宙がいかに創造されたかという究極の原理を知らなかったからである。さらに、我々にはもっと根本的な先決問題が残っている。それは、結果的な存在に関することではなく、原因的な存在に関する問題である。




私たちは、どこまでも結果的存在であり、世の中の出来事も結果にすぎないわけであるので、ことが起きた原因、私がここにいる原因を個人次元から世界次元に至るまで考えることが重要なのではないかと思います。






A night for two / Takashi(aes256)




長々と読んでいただきありがとうございました!








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