いきなり劇中劇からスタートです。











---お互いの立場を知らぬまま、2人の運命の歯車が回り始める---




「…ふう。」



一大企業のトップに立つ父を持った娘とはいっても、滅多にパーティーなど出ない瞳子にとって今夜のパーティーは正直苦痛であった。


エスコートする筈だった遼太郎が急な出張で来られなくなり、父に同伴する形で来たものの父は取引先や知人と話があって自分は辛うじて挨拶する程度で邪魔にならないようにしているのが精一杯。


普段パーティーにも参加しないが故に友人知人などいる筈もなく、やたらと絡んでくる如何にも女好きですといった感じの軽薄そうな男たちから逃れるようにして、瞳子はパーティー会場の外庭にある薔薇の庭園を月明かりの下散策していた。



庭の向こうに小さな東屋(あずまや)があることに気付いた瞳子は、何かに惹かれる様に歩き出す。



----誰かいる…?



東屋で月を見上げる背の高い男の後ろ姿に、瞳子の目は釘付けになっていた。



男も自分を見詰める若い娘に気付き、視線を向ける。


交わした眼差しだけで恋に落ちた2人に言葉は要らなかった…。





「……カーット!!
…はい、OKです!!」



息が詰まるほどの緊張感から解き放たれたスタッフ・キャストから盛大な溜め息が漏れた。



尚はその日一日の撮影そのものに当惑していた。


前回の撮影が嘘の様にスムーズに進んでいくのだ。


蓮とのシーンが無かったにしても、キョーコはもっと自分相手なら引っ掛かる。

そう思っていたのに!?



その日の撮影が終わり、吉野に同行して貰いキョーコに声を掛けようとした尚の目に飛び込んで来たのは、楽しそうに廊下で歓談するキョーコと自分にとって最も気に食わない男とそのマネージャーの3人だった。



声を掛けることも出来ずつい身を隠した尚の様子にこっそり苦笑しながら、吉野はその歓談に混ざるべく尚を置き去りにして歩き出した。




「お疲れ様です。
いやぁ、今日は順調でしたね。
この前の撮影の時はうちの尚がご迷惑おかけして…あ、でも今日はどうしてこんなにスムーズに進んだんでしょうか。
正直また尚が足引っ張るんじゃないかと冷や冷やしてたんですよ。」



今日の撮影の途中から尚がずっと思っていた疑問を、吉野は見事に代弁してみせた。



「…実は初日なんですが、緒方監督に言われていたんです。
彼の実力を量りたいのでNGにひたすら耐えて欲しい、って。
こちらの意図を彼がどのくらいまで汲み取れるか知りたかったみたいです、緒方監督は。」



蓮の言葉に尚は隠れながら憤慨していたが吉野は納得いったと頷いた。



「…それであいつの力量を量れたってことで、今日のスムーズな流れになるわけですか。」



「…実は私もそれが訊きたかったんです。
敦賀さんなら、アイツに演技させるくらい雑作もない筈なのにって思って…。」



アイツなんか敦賀さんの掌の上でコロコロ転がされちゃいますからね、と笑うキョーコに尚はカッと頭に血が昇ったが、芝居に関してはずぶの素人であることは自覚していたのでどうにか踏みとどまり、臍を噛む思いで去っていく3人を見送っていた。




「…おーお、進歩したじゃねーか。
あの話の内容で突っ掛かって来ないなんざ、今までのお前ならあり得ねーもんな?
成長したって褒めてやるよ。」



歯がゆい気持ちで吉野を睨み付けるものの、客観的に自分の行動を見返してみれば確かにそうだった。



「…………」
「…まぁ実力が無いんだ、遠慮しないでぶつかるこったな。
  お前以外の全員がちゃあんと弁えたスタッフとキャストだ。
せいぜい転がしてもらって勉強しろや、素人なりに、な。」




その次からの撮影も極めてスムーズだった。


初日に散々引っ掛かった蓮とのバーのシーンの撮り直しですら呆気なく済み、本当にこれでいいのかと思わず監督に訊ねてしまうくらいであった。



「大丈夫ですよ、敦賀君や他の皆さんに引っ張られていい表情も出てますし。
それに正直、敦賀君との絡み以外はほぼ当て書きに近いんじゃないかと思うんですけど…?」



自分と接点のない筈の緒方が自ら書き上げた脚本が、当て書きとはどういう事なのか首を傾げるしかなかった尚だが、事実蓮との絡み以外はあまり考えずに動けたので多くは話そうとは思えなかった。



半ば釈然としない思いでその日の撮影を終えると、吉野は翌日の仕事について運転しながら説明した。



「…明日からは新曲のレコーディングだ。
上がり次第プロモの撮影もしていくからな。」



「…へーい。」



今日のこの言葉遣いに関しては吉野は文句を付けなかった。


レコーディングに入る前に撮れる分は撮ってしまおうと尚のシーンが優先的に撮影されたため、かなりのハードスケジュールになったのだ。


ぐったりしていても仕方がない。


間を置かずに助手席でうとうとし始めた尚が完全に眠りに落ちた頃、吉野はぽつりと呟いた。



「…明日からは悪夢を見ることになるんだ。
今夜だけはゆっくり眠るがいいさ。
今だけだからな、魘されること無く眠れるのなんか…。」



キョーコの半生と尚の半生、東京に出て来てからの2人の生活もローリィがきっちり調べ上げ、その全てを宝田一味に報告していた。


それ故の秘めた怒りが一味の共通認識であり、教育的指導に顕れていたのだ。


吉野の言葉には口にされずとも愉悦が篭っていても仕方がなかっただろう。


何も知らずに夢の中に沈む尚を乗せたまま、吉野の運転する車は夜の闇の中に消えていった…。