私は、訃報を聴いた時、普通は「亡くなった」って表現するんだけど、
堀越さんの場合は、
「死んだ」
と思った。
なぜなら、堀越さんはとにかく波乱万丈、小説よりも面白く激しく生きて、生きて生きて、そして、すっと風が吹いて霧が消えるように死んだから。
生き抜いたから、
「死んだ」
と言う表現を敬意を表して使わせていただいた。
死ぬって、不思議って思います。
さっきまでそこにいた人が、人はいるのに中身がない。
まるで人形のよう。
スタッフのあさみちゃんに連絡いただいただけでまだ堀越さんにあっていない。
でも、会わなくてもわかる。
堀越さんは、眠っているように綺麗なお顔で、ちょっと微笑んでいるんじゃないかなあというお顔でいる。
先週土曜日と月曜日、お見舞いに行った。
月曜日は子供も連れて。
間に合ってよかった。
でも、月曜にあった時、堀越さんに
「葛食べる?作って持ってくるね」
と約束したのに、持って行けなかった。
その日、夜買い物して、「そうだ、葛と一緒にサムゲタン作って持って行こう」と思ったのに、持って行けなかった。
いろんな食事療法で速攻で力になる食事だって提供できるのに、できなかった。
なぜだか、できたのにできなかった。
もしかしたら、もう地上には長く止まりたくなかったのかなあ。
なんと、かれこれ15年も私は堀越さんにお世話になった。
なんとなく検索して、なんども道に迷いなかなかたどり着けなかったばおばぶ。
なんとも居心地良いカフェで、アロマサロンに勤めていたメンバーでばおばぶを借りて「金沢文庫芸術祭」の「アートラリー」に
「ヒーリングコラボサロン」
としてばおばぶをお借りして1週間出店し、その後引き続き週一でばおばぶの一角をお借りして私は簡単なアロマトリートメントと足つぼの施術をさせていただいた→この時は全くお客がいなくて、ただあの空間にいたり、暇してる堀越さんと恐る恐るお話ししたり。
あの時の堀越さんはキレッキレで、とにかくよく怒っていた笑。
怒っているわけではなくて、そういう伝え方なんだけどね笑。
同世代の男の人に
「僕はここに来るといつもあなたに横っ面をひっぱたかれる思いをするんだ」
と言わしめた人でした。
全てが激しい人でした。
でも、愛がとても強くて深い人でした。
堀越さんのことを、「なんどもどん底に突き落とされても不死鳥のように蘇る」という方も。
その後、私はシタール奏者と友達になって、「シタールとマッサージの夕べ」みたいなイベントも友達と共催した。→この時、友達が自分の手柄にしたかったようで、自分が主催した、と言って嘘ついて回っていたのにはびっくりしたけど、それも良い思い出です。
さらに、がんになって、堀越さんが歌手のおおたか静流さんに電話して
「あなたの歌が聴きたくなったのよ」
と言って静流さんがそれに応えて忙しいスケジュールの合間を縫ってばおばぶでアカペラライブをしてくださったことも。
私はその時、おおたか静流さんにアロマトリートメントをさせていただき、そのまま静流さんは「ねむーい」と言って眠ってしまい、翌日堀越さんに「堀越さんの美味しいご飯とアロママッサージで癒された」とメールが届いたそう。
私もセラピストとしても、おおたか静流さんの倍音の音に浸らせていただいたお客としても、とても幸せなひと時を過ごさせていただきました。
ばおばぶ12周年記念パーティーでは、私と友達でベリーダンスを踊らせていただいたことも。
その時風邪でめちゃくちゃ熱出てフラフラしていたので、踊り自体は悲惨でしたが、それも良い思い出。
ばおばぶにはお客として行ってなんども泣かされましたが笑(堀越さんはお客だからといって容赦しない笑。一切の妥協がない人だった)
「もー絶対行かない」と思っても、なぜか堀越さんには会いたくなる。
それだけ、「生きて」きた人だから、存在にとても惹かれたんだと思う。
何の遠慮もなく「本当のこと」だけを言ってくれるから。
それを受け止めるのも大変なエネルギーが入りますが、本当のことって大人になると滅多に聞けない。
耳障りが悪くても、それを言ってくれる人って本当に貴重だと思う。
私が堀越さんにお世話になり出した時、私はまだ元旦那と暮らしていて、とにかく平和に暮らしていくにはどうしたらいいのか、をずっと悩んでいて、いつも「今日は大丈夫かなあ」と元旦那の顔色を見てビクビクする毎日でした。
モラハラがひどくて、すっかり支配されていた私は、「私が悪いんだ」「どうしたら私は人並みになるんだろう」とずっと思っていて、とにかく毎日元旦那に怒られるのが怖くて怖くて仕方なくて、
産前、安定期に入ってから「もう逃げられないだろう」という言葉とともに罵倒される毎日が始まって、産後すぐに鬱になってしまった。
その鬱の時さらに嫌がらせにつぐ嫌がらせで追い詰められ、子供のために自分でなんとかしなくちゃ、と心療内科に通い、アロマを使い、足つぼサロンに通い、いろいろ工夫してたどり着いたのが、
「なくした自信を取り戻す」
ということだった。
私がイベントをいろいろやり始めたのは、毎日毎日罵倒され、嫌がらせをされ続け、ある日とつぜん生活費も取り上げられてしまった中だったけど、体調も少し回復した頃、体の様子を見ながら自信を取り戻す手段として、
「自分で自分を楽しませる」
「できた!と思うことを重ねていく」
ということだった。
そんな時から堀越さんにお世話になり、その後、家庭が少し平和になり始めた頃、突然
「支配される妻という立場の女性を子供に見せて脳に刷り込んではいけない」
と思い、反旗を翻した。
その結果、別居→子供が父親とはもう住めない、と言って私のところに来て、数年かけて最終的に離婚にいたったけど、
その私の人生の岐路を私はばおばぶで過ごして、堀越さんに見守ってもらったんだなあ。
15年も。
堀越さんが理解できないことは、スタッフのみんなが理解してくれて、いろいろ教えてくれた。
ばおばぶは、いつも何かその時必要なメッセージをもらえる場所だった。
別居のことを
「私が至らなくて平和な距離を探したらこうなっちゃって」
と笑いながら言ったら、それをスタッフだったうさぎちゃんが
「それはDVだから早く女性センターに行って!」
と教えてくれて。
繊細な子供の子育てについて、とか、いじめについて、とかあまりにも謙虚でわからなかったけど、実は元学校の先生だった、別のスタッフさんが教えてくれて。
子育てのためにやむなく開業した時は、自営については元スタッフのまなちゃんが教えてくれて。
堀越さんも教えてくれて。
私も堀越さんも仕事に妥協できない性格なので、「良いものしか提供したくない」というこだわりから利益を考えない商売をしているものだから、時に利益が出て、時に窮地に陥るわけです笑。
そういう時も、堀越さんが「お金はカラスが運んでくれるんだって笑」と言って「必要があればなんとかなるのよ」と気を楽にしてくれた。(そして私は今も、必要なお金はカラスが運んでくれると思っています笑)
私も堀越さんも、「できる限りの愛」の表現として、自分にできることを200パーセントで提供しているので、開業後はとても意見が一致した笑。
私の一番激流のようだった大転換の日々を15年も見守ってくださったのだなあ。
実の親よりもお母さんで、お父さんだった。
「若い時に女1人でアフリカも含めて世界中を旅して周り、世界中のできるだけの美味しいもの、素晴らしいものに出会って、最後にたどり着いたのは、質の良いシンプルで素朴な味だったのよ」
と笑って話していたのが本当に昨日のことのようです。
なんとも全てが繊細で豪快な方でした。
敬けんなカトリック信者なのに、
「若い頃はタバコスパスパ吸っていたし、お酒もよく飲んだ笑。道ならぬ恋もしたわ。これだ、と思ったら、仏教だろうがスピリチュアルなワークだろうが出るの!宗教宗派なんて、んなもの関係ない!」
と言って、カトリック教徒の枠をだいぶ破っていた。
私の祖母もカトリック信者だったからわかるけど、カトリックの人たちはとにかく純粋で厳格で真面目。
そのイメージをぶっ壊すのが堀越さんだった笑。
私も堀越さんも共通しているのは、「要はこういうことでしょ?」という考えで、目先の言葉尻にはとらわれたくない、ということ。
「そもそもこれはなんでできたのよ」というところに立ち返れば、大体の趣旨がつかめて、本来どうあるべき?って大体わかる。
つまらない争いもぶつかり合いも、人を責める必要もない。
最終的に、私と堀越さんはそこが共通点になった。
今、堀越さんがどんなメッセージを残してくれたのかな、と思うのは、
「生き抜くって何?」
「あなた生きてる?」
と言うこと。
自分の人生を生きるのに、「子供が」とか「仕事が」なんて言い訳を一切せず、周りの人全員を敵に回し、囲まれて責められても自分を生き抜く「自分に対する責任」と「自分の人生を生きる」ということを、存在で教えてもらった気がします。
私が15年ばおばぶに通って吸収したのは、子供も子供以外も全てを
「慈しむ」
「愛する」
「育てる」
ということと、
「自分の人生に責任を持って体験したいことの全てを、覚悟を持って体験し尽くす」
ということ。
私はまだ時々こわごわ、ですが、いつか豪快に「生きたよー」って堀越さんに報告できる自分になりたいです。
真夜中に書いているので文章がおかしいけど、久しぶりに書きたいことを書きたいだけ書きました。
堀越さん、ありがとうございました。