ご無沙汰しておりましたm(__)m
やっと喘息ちゃんは落ち着いてきたようです。
でも、ピークフローの数値にイマイチ納得がいかない私(苦笑)
マイDrも同じようで、来週は肺機能検査を一通りやる予定です。
さて、今回は父の話。
長くなりますがお付き合い下さいませ。
6月のケモ入院時にイレウスと誤嚥性肺炎を併発し、緊急手術の後、三途の川を渡り掛けた父。
20%の可能性をクリアし、自宅療養をしていました。
初発手術時(今から10年前)にすでに骨盤転移がありました。
緊急手術後の骨シンチで新たに肋骨転移が判明しました。
普通、骨転移はかなり激痛があるようですが、痛みの閾値がとことん低いらしい父は主治医の言うことも聞かず、普通の湿布でやり過ごしてきました(あり得ん話だ…)
それから母と二人で主治医の先生と三者会談をしたのが9月でした。
体力的にもうケモは無理だし、いよいよ緩和(昭和一桁の父は緩和=死と思っています)しかないかと思っていたら、先生から一つの治療を提案していただきました。
ただし、その治療は現在の病院ではできないということで旧帝大大学病院に紹介状を書いてもらいました。
そして、先週初めての大学病院に行ってきました。
もう何年経ったのか、気管支喘息の患者相談会で、呼吸器内科の偉いDrにお会いした時はまだ改築前で古い病院でしたが、きれいに建て変わっていました。
大学病院の主治医Drは、とても体育会系のはっきりした感じの方でした。
でも、あまりにも分厚い紹介状のデータを打ち込みながら「これ打ち込むまでお顔を見れなくてごめんなさいね~」と気遣いもしていただけました。
診察で貧血が酷いので、輸血をしないと治療できませんとはっきり言って下さったので、こっちの病院で再三輸血を嫌がっていた父もぐうの音がでませんでした(笑)
そして、一昨日輸血をしに受診しました。
その時に貧血が進行してるので、2日間輸血をするということになりました。
(高齢者の最低値は11、先週8.6、一昨日6.9)
その時も問診で便潜血検査もすることに。
着いてすぐの採血は、1回でとれるという超ラッキー。
が、輸血前のクロスマッチとルート確保にかかった時間が1時間半…(^^;)))
処置室の看護師さんすべてを巻き込み、最後には医局から若い先生が来てなんとかなりました。
ほとんど筋肉もないので血管はそこらじゅうにあるんですが、入れる度に逃げてしまうんです。
親子揃って、看護師さん泣かせなんです(^^;)))
(後から、亡くなった祖母もそうだったらしく、家系のようです、苦笑)
しかし、明日はどうするんだ??
感染のこと考えるとヘパロックは無理だし、輸血のために入院も出来ないだろうし…
って考えていたら、主治医Drが様子見にきて下さってこう言いました。
「明日のこと考えるとasuka父さんの身体も負担が大きいから、2700円の部屋しかないけど入院しますか?」
\(◎o◎)/
そんなんで大学病院に入院できるの?
父は少々帰りたそうでしたが、状況を理解していたので割と素直に納得していました(笑)
そんなわけで、輸血のために入院することになりました。
タイミングが悪く、入院手続きや買い物、服薬の確認と行ったり来たりドタバタ(^^;)))
今回は母の都合が悪くて来ることができなくて、全部私がしたのでちょっぴりくたびれました(苦笑)
そんなこんなで11時過ぎに来て、帰途に着いたのは6時半でした。
大学病院ってやっぱ、そこら辺の市民病院とは違いますね←当たり前
大名行列こそ見なかったものの、白い巨塔的な雰囲気がありましたし、システムも色々違って少し戸惑いました。
実は自分のがんの時、ここも候補に入っていましたが、今となってはここじゃなくて良かったと思っています。
ま、病棟主治医のDrがドラマに出てそうなイケメン(背が低かったのが残念、笑)でしたし、こういう機会でもないと大学病院の雰囲気を知ることができなかったから良しです(笑)
けど、この日のドタバタはホンの序章に過ぎませんでした。
続く。
やっと喘息ちゃんは落ち着いてきたようです。
でも、ピークフローの数値にイマイチ納得がいかない私(苦笑)
マイDrも同じようで、来週は肺機能検査を一通りやる予定です。
さて、今回は父の話。
長くなりますがお付き合い下さいませ。
6月のケモ入院時にイレウスと誤嚥性肺炎を併発し、緊急手術の後、三途の川を渡り掛けた父。
20%の可能性をクリアし、自宅療養をしていました。
初発手術時(今から10年前)にすでに骨盤転移がありました。
緊急手術後の骨シンチで新たに肋骨転移が判明しました。
普通、骨転移はかなり激痛があるようですが、痛みの閾値がとことん低いらしい父は主治医の言うことも聞かず、普通の湿布でやり過ごしてきました(あり得ん話だ…)
それから母と二人で主治医の先生と三者会談をしたのが9月でした。
体力的にもうケモは無理だし、いよいよ緩和(昭和一桁の父は緩和=死と思っています)しかないかと思っていたら、先生から一つの治療を提案していただきました。
ただし、その治療は現在の病院ではできないということで旧帝大大学病院に紹介状を書いてもらいました。
そして、先週初めての大学病院に行ってきました。
もう何年経ったのか、気管支喘息の患者相談会で、呼吸器内科の偉いDrにお会いした時はまだ改築前で古い病院でしたが、きれいに建て変わっていました。
大学病院の主治医Drは、とても体育会系のはっきりした感じの方でした。
でも、あまりにも分厚い紹介状のデータを打ち込みながら「これ打ち込むまでお顔を見れなくてごめんなさいね~」と気遣いもしていただけました。
診察で貧血が酷いので、輸血をしないと治療できませんとはっきり言って下さったので、こっちの病院で再三輸血を嫌がっていた父もぐうの音がでませんでした(笑)
そして、一昨日輸血をしに受診しました。
その時に貧血が進行してるので、2日間輸血をするということになりました。
(高齢者の最低値は11、先週8.6、一昨日6.9)
その時も問診で便潜血検査もすることに。
着いてすぐの採血は、1回でとれるという超ラッキー。
が、輸血前のクロスマッチとルート確保にかかった時間が1時間半…(^^;)))
処置室の看護師さんすべてを巻き込み、最後には医局から若い先生が来てなんとかなりました。
ほとんど筋肉もないので血管はそこらじゅうにあるんですが、入れる度に逃げてしまうんです。
親子揃って、看護師さん泣かせなんです(^^;)))
(後から、亡くなった祖母もそうだったらしく、家系のようです、苦笑)
しかし、明日はどうするんだ??
感染のこと考えるとヘパロックは無理だし、輸血のために入院も出来ないだろうし…
って考えていたら、主治医Drが様子見にきて下さってこう言いました。
「明日のこと考えるとasuka父さんの身体も負担が大きいから、2700円の部屋しかないけど入院しますか?」
\(◎o◎)/
そんなんで大学病院に入院できるの?
父は少々帰りたそうでしたが、状況を理解していたので割と素直に納得していました(笑)
そんなわけで、輸血のために入院することになりました。
タイミングが悪く、入院手続きや買い物、服薬の確認と行ったり来たりドタバタ(^^;)))
今回は母の都合が悪くて来ることができなくて、全部私がしたのでちょっぴりくたびれました(苦笑)
そんなこんなで11時過ぎに来て、帰途に着いたのは6時半でした。
大学病院ってやっぱ、そこら辺の市民病院とは違いますね←当たり前
大名行列こそ見なかったものの、白い巨塔的な雰囲気がありましたし、システムも色々違って少し戸惑いました。
実は自分のがんの時、ここも候補に入っていましたが、今となってはここじゃなくて良かったと思っています。
ま、病棟主治医のDrがドラマに出てそうなイケメン(背が低かったのが残念、笑)でしたし、こういう機会でもないと大学病院の雰囲気を知ることができなかったから良しです(笑)
けど、この日のドタバタはホンの序章に過ぎませんでした。
続く。