国立西洋美術館のキュビスム展に行くのを断念する際に考えた事 | There can be only one...

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#国立西洋美術館(@NMWATokyo)の #キュビスム展(The Cubist Revolution:An Exhibition from the Collection of the Centre Pompidou, Paris)を、私はとても観たいが、ご近所ではないので、多分、行かない。

 

★公式

 https://cubisme.exhn.jp/

 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023cubisme.html

★Archived

 https://web.archive.org/web/20231214165900/https://cubisme.exhn.jp/

 https://web.archive.org/web/20231214170149/https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023cubisme.html

 

 


私は #キュビスム(#Cubisme, #Cubism)の作風がとても好きだ。

私は、幼年期に、TVドラマ『#名探偵ポワロ(#AgathaChristiesPoirot)』(#ITV, UK, 1989-2013)に親しんだ。
小学生、中学生の頃は、#RenéFrançoisGhislainMagritte, や 

#GiorgioDeChirico らの #Surréalismeの作品が、私の一番好きな藝術思潮だった。
私の【幼年期の終り】の後(After My "#ChildhoodsEnd")の、

20代前半には、#Taschen 社の安価な画集 #TaschenBasicArt を多数買い集めた。
#ArthurCharlesClarke.

中でも、その頃、私が特に気に入ったのは、

#ArtNouveau の #AlfonsMariaMucha、

#Dadaist の #MarcelDuchamp、

#キュビズム の影響が多く看られる、#アールデコ の画家

(#ArtDeco painter with many #Cubist influences)である、

#TamaraDeLempicka である。
当時、私が購入した #TaschenBasicArt には、

#FriedensreichRegentagDunkelbuntHundertwasser の画集も有り、

其処から、#GustavKlimtの色彩感感覚を深化させた様な衝撃を受けた。
 

2007年に亡くなったアメリカ人の藝術家 #LaurelBurch の作風は、

私好みの藝術思潮の要素が多数一体となっていて、今でも、心惹かれる作品が多い。

記憶を辿れば、2001年から2005年の東京都内の美術館では、

丁度、MuchaとDuchampの作品を展示する企画展が連続的に開催されており、

私はそれらに実際に足を運んだので、

それらの経験も私の嗜好に強く影響を与えている仮も知れない。
 

現在の、私は、根源的だが軽薄なダダイスト縒り、

無価値とされたものを慎重に再検討する超現実主義者や、

関心対象の多面的特徴を鋭く指摘する俯瞰図を提示するキュビストに深く同調している。


“好きだから、遠出してでも、観に行こう”或いは、

“会いに行こう”という行動に出ないのは、私が老いたからだろう。
現実の物理的生活状況に直接的な好影響を生まない、経済的支出を伴う行動は選ばなくなった。
精神的充足感の様なもので、自分を誤魔化したり、

或いは、他者から騙されたくない、

という強い生活防衛の基本原則が定着してしまったからだ。

清貧の思想は #虚妄。
数万円、数十万円程度の損失など気にしない、という、経済的余裕が有る人間は、

そんな原則を、#赤貧 の #思想原理 と評しそうなものだ。
 

#清貧 の思想などというものは、他者から診れば、実態は、惨めな赤貧の其れ、に過ぎない。
それは、#魯迅 が『#阿Q正伝』に於いて、痛烈に皮肉った、人間の #卑屈 性の発露の一形態である。
 

その卑屈性は、自尊心を、客観的には妥当性を欠く、自己欺瞞的な論拠で支える、心理的性質を指す。
清貧の実態は、惨めな有様を然も、#清廉、#清浄 であるとか、#神聖 であると偽った状態でしかなく、

 

その偽りを堅持し続ける者の心理的性質が卑屈なのである。
私には、先に述べた意味での経済的余裕は全く無いが、

赤貧の思想原理を清貧の其れだと、偽る程、

私は、哀れな愚鈍性の虜囚ではない。

若い頃の私は、“この #機会 を逸したら、一生後悔する”とか、

“これは #投機、或いは、見込みの無い #賭け、では無く、#先行投資 だ”とか、“

これは直ぐに回収できない #投資 だが、一時的な経済的支出に過ぎず、

単なる経済的選択ではなく、後々に活きる人生設計計画上の合理的選択だ”とか、

“この経験(=投資)は必ず、今後に良い影響をもたらす筈だ”とか、

尤もらしい理由を【捏造】(但し、それを全くの盲信だと思ってはおらず、半信半疑で根拠と)して、

交通費や宿泊費等に結構な金を #散財 したものだ。 

赤貧思想が“是”(【可】・【許容可】・【妥当】の意味に過ぎず、【良】・【善】を意味しない評価)

とする行動原理は、実に明瞭で、自己防衛に優れるが、

人生に於ける多くの【#無駄】(=生物身体的存続に不可欠なものでは無い)扱いされる、

【#人生の意味】、【#人生の価値】、を構成する上で、

不可欠な、【#人生に於ける喜び】の多くを、放棄し、諦める、

惨めな判断基準の集合を、“是”とする行動原理でもある。

私だけでなく、万人が赤貧の思想から解放された、

経済状況が維持される社会を実現し、維持する政治、を、私は切に希求する。


あー、めっちゃ #国立西洋美術館(@NMWATokyo)の #キュビズム展 が観たい!