明日3月31日は母の命日で、亡くなってから丁度40年の歳月が流れた事になる。


私の父が亡くなったのは4年前の3月22日

もう4年も経った?というのが実感で、まだついこの間の事のようだ。

✧• ───── ✾ ───── •✧


今から何年前のことだろうか?
父にはまだこれといった介護が必要な段階ではないと、当時の私は思っていた。

何故ならその時はまだ、父親の再婚相手のAさんから私にSOSがきていなくて、私は父と頻繁に会っていなかったからだ。

それでも、当時は父の歩幅が狭くなってきて歩くのも不安定になってきていたので、私の亡き母方の伯母が亡くなった葬儀に列席する際、父を車に乗せて一緒に葬儀に列席した日のことだった。

そのときに、私は初めて、父が病的な認知症ではないか?と疑うことになった。

✧• ───── ✾ ───── •✧


その日の父は頭がボーとしている感じでキレがなかった。

久しぶりにあった親族の名前と顔を忘れていたり、
帰りの車中でも、父が私に「家はそっちではない」と言い出し、昔住んでいた家の方向に私を誘導しようとした。

また、車中で何かの拍子に、亡くなった父親の妹の話題になった時、父は自分の妹が亡くなっていた事を忘れていた(  > ·̫ <)


これはヤバい❗えーん
いつの間にこんなことになった?!
これは直ぐに病院に連れていかないとマズイ!

という危機感を覚えた日だった。


本来なら、親戚の顔を忘れていたり、自分が住んでいる家を昔の家と勘違いするなんてことがあったら、当の本人が大きな衝撃を受けるはずだが、衝撃を受けたのは私だけで、父は平然としている事に大いに違和感を覚えたのだった。

ところがもっと驚いたのは、私からのその日の父の異常な状況報告にAさんは耳を貸してくれず、

「普段の夫はそんなこと無いし会話も普通に出来てるから、その日だけ特別に調子が悪かっただけよ!お父さんを認知症にしないで!(>_<)」

と、自分の夫の認知症を認めたがらず、老人性特有の物忘れに終わらせようとしたことだった。

そうやって、私が父親を病院に連れていこうとするのを阻止した。


✧• ───── ✾ ───── •✧


結局、デイサービスのスタッフから「歩き方がパーキンソンかもしれないから一度病院で診てもらったほうがいい」というアドバイスを受けて連れて行った脳神経内科での長谷川式簡易検査の結果で認知症を指摘されて、Aさんはやっと父の病的な認知症という事実を受け入れてくれた。


晩年の父は、パーキンソン薬の幻覚を見る副作用も手伝って、徐々に、この世にいてこの世にいないような、幻覚と現実の狭間を行き来する夢の中の人になっていった。

それでも状態にはムラがあり、こちら側の世界に戻ってきてくれることもあって、終末期に入るギリギリのところまでは私の名前も呼んでくれていて、私にとって父は最期の時まで愛おしい父だった。


親孝行をやれるだけのことはやった…という思いが私にはあり、後悔はない。

けれど、それが出来たのも在宅時は通い介護だったからであり、その後は老人ホーム、入院先の病院という家族にとって大きな助けとなるものがあったから出来たことであって、

在宅で看続けていたら、果たして「最期の時まで愛おしい父だった」と綺麗な言葉をこうしてブログに書けただろうか?と疑う(>_<)

それくらい、ひとりで在宅介護を担うというのは、ハードルが高過ぎると思ったりする。


何が一番のハードルか?と言うと、いくら訪問医療やヘルパーさんをお願いしていても、患者と2人きりになる時間もたくさんあるわけで、夜中も熟睡出来ない可能性が出てくるし、オムツ交換が最も辛い介護のひとつになっていくのは間違いないと考えるからだ。

また、在宅介護だと、今日はヘルパーさんが来る日、今日は入浴介助の人が来る日、今日は訪問医が来る日というように、誰彼か毎日自宅に迎え入れるのも、家族介護者にとっては本当に気が休まらないし疲れると思う。


そこを分かっている、在宅や通い介護で頑張っている友人たちも、施設に入って頂く最後の決断はシモの世話が出てきた時になるだろう…と口を揃える。


だが、身体はお元気なのは喜ぶべきことなのだが、そこまでいくのに何年間も認知症の親との格闘の在宅介護は続く❗



デイサービスですら拒絶する親に、老人ホーム入居を本人がYESと言うはずがない(>_<)


そこも、家族は心の隅っこのところで、もっと認知症が進行してくれたら逆に介護は楽になるかもしれない…と思ってしまう(>_<)…  



毎日のように母親とバトルしながら格闘している人たちは、こうした本音を介護中や介護経験がある仲間内では共感し合え、「それでもよく頑張ってるよ」と慰めあえる。



実は、このことは本当に大切なことで、介護者には悩みを吐露できる場所が必要なんです。仲間内で話し合える友人がいることはとても大切なこと。


何故なら、親族に話しても、介護していない親族は肩身が狭くなる側面は否定できないし、正直そんな愚痴を聞くのも辛くなるからだ。


私も兄や姉に父親の介護のことで愚痴ったことは殆どなかった。普段は感謝の言葉を言ってくれるが、私からの愚痴となると「聞きたくないモード」に兄や姉が入っていくのが伝わってきていたからだ(>_<)



だから、

話せる第三者の存在は、介護者にとって貴重な存在になる。


女性は男性に比べたら社交的な傾向が強く、友人が多い人もいるからまだいいが、口数も少な目で社会からも孤立しがちな男性ほど、孤独な介護の泥沼に入っていきやすいから、男性介護者のメンタル維持には要注意なのだ。



✧• ───── ✾ ───── •✧



身近な例では、お義父様を通いで看ている友人からは、愚痴が少ない気がする。何故なら、お義父様は、周りがサポートしてあげたくなる可愛い認知症のようだからだ。


私の父もとても素直で可愛い認知症患者だった。



一方、現在進行形で認知症になった母親宅に暮らす友人は最近本人がうつっぽくなるほど疲れていて、「母親とは喧嘩ばかりしている」と話している。


通い介護で認知症の母親を世話している友人も母親にイラつく事が多すぎると話す。



これって例が少なすぎるから決めつけはよくないが、認知症になると口数がもともと少ない男性よりも、女性はよく喋る人が多い分へらず口も多くなり、可愛げがなくなる傾向があるからなのだろうか??



いずれにしても、女性の方が男性よりも長生きとはいえ、日本では、認知症患者の実に8割が女性ということのようなので、私も他人ごとではない。


誰もが認知症になんてなりたくないが、長生きをすればするほど、認知症になるリスクは大きくなる。


せめて、今から「感謝」する癖をつけて、自分は可愛い認知症患者になりたいな…と思ったりする💦




✧• ───── ✾ ───── •✧



認知症が原因で、家族などが警察に捜索願を出した行方不明者は、2022年に全国で1万8709人に達しました。


大半は見つかるとはいえ、行方不明のままだったり、お亡くなりになって見つかるなどのケースも少なからずあります。


若年性アルツハイマーになってしまったけど、まだ自分のことも出来ていて大丈夫だと思っていた父親が、突然姿を消し行方不明のままで、自治体の登録システムを知らずに登録してなかったことを後悔していて、生きていてくれると信じて探し続けている娘さん家族のことをテレビでも報道してました。


各自治体ごとに、行方不明になった認知症の人を捜索するSOSシステムが設けられてると思うので、認知症家族がいる方は、事前登録の検討をお勧めします。



(例 名古屋市)