【雑記】チャレンジ、挑戦、それって何? | Jazz@Saku

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会社員でジャズベーシストのJazz Man BSakuの日常を暴く!(笑)

小さなことだけど、重要なことで。

 

世の中の大抵のことは体験して見なければわからない、ということだろうけど。インターネットの高速化で動画配信が容易になって予習が今までよりも深くできる世の中になって、やって見ようという好奇心を煽り「これだったらやって見るか」とある個人の挑戦を躊躇する気持ちに対しての背中を押すきっかけになることが多いんだろうと思う。挑戦したい気持ちが勝っていて、もう一歩という輩には効果的と思われる。一方でその気が乏しいような境遇にある輩にはむしろ躊躇を後押しするのではないかと思う。

 

先日13歳と11歳の娘と行楽施設に遊びに出かけた。私は人生初の施設、乗り物酔いしやすい体質なので自ら手を挙げることはない類、に娘のたっての希望でもあり重い腰を上げて向かった。

「決めたからには、せっかくだから楽しまなきゃ損」という主義なので、とことん体験してやろう、という意気込みで臨んだ。

 

現地について真っ先に「世界一」という乗り物に乗り込んだ。


急降下の時のもわっとする感覚と、不可測な横揺れと急停車と発進で三半規管がどうにかなりそうだ。なかなか気持ちが悪い瞬間もあった。でも、終わってみたら、酔い止めの薬が効いていたのか、首の痛み以外はなんだか爽快だった。なぜか、下の娘とも「なんだか楽しかった~。」という会話になったし。

 

しかし、上の娘は急降下の際に後頭部を打ったようで、頭が痛いと抑えながら訴えている。上の娘は、幸か不幸か、私と同じく乗り物酔いしやすい体質。その日の夜には、「頭痛くて、酔ってる暇がなかった」と述懐する娘だったが、その時点では「もう乗らない」という吐露。「来たばっかりでそれはないよ」、と私は思いながらも負傷の回復及び健康維持は優先事項だから、「ゆっくり休みな」、と休養を勧める。


 

一方のお父さんは、何とか制覇をしようと元気な下の娘と次の遊具に行き、結果「これだったらおねえちゃんも大丈夫だよ!次は一緒に乗りた~い!」と言うことになったから、そのことを上の娘に伝えてみた。でも、やはり頑なに「絶対無理」と言う。貝が閉じちゃった。それに乗じて、下の娘も「だったら、乗らない」という始末。

 

おいおい、何しに来たんだよ。(心の声)

 

「お父さんは意を決して苦手な乗り物を克服しに来たんだ。何とかなりそうだという見立てもあるけど、お父さんは年齢が年齢だから、体験するにも限界があって、次にいつ来れるかもわからないから、この機会にいろいろ体験したいんだ。でもおねえちゃんは、これから来れる機会あるし、なにより楽しくなかったらそれこそもう二度と行かない!ってなっちゃうでしょ。だからお姉ちゃんと乗り物に乗るのは少し遠慮しようね。」という旨を下の娘に伝えた。

 

 

翌日、下の娘には上記意図が伝わったらしく、前日には「無理、おねえちゃんとじゃないと乗らない」と全否定していたのに、ケロっと前向きになっていた。上の娘にも少し頑張ろうという気持ちが芽生えたのか、頑張って体験するようになった。

 

途中で娘たちが発した言葉が、「来る前にYouTubeで見たら、壊そうだったんだもん。あれ、絶対にやばいよ!」

 

そっか、予習が恐怖心を煽って挑戦する気持ちを萎えさせていたか。でも、克服したらその克服の振れ幅は大きいから、とても本人にとっては印象深くなって良い経験になるかもしれない。しかし、本人が現物を見て解消するか、周囲の説得によって解消するしかない場合は、恐怖心を克服せず、そのまま未体験で終わってしまうのだろう。

 

ーーー

結果、ありとあらゆる乗り物に乗って、乗り物酔いせずに、突破した私と下の娘。なんだか、仲良くなった。

上の娘も私が配慮したからか、恐怖におののいている変顔が面白かったのか、何がきっかけか判然とせずにぼんやりしているが、仲良くなった。結果よし。

ーーー

 

月並みだけど、事の大小を問わず、何かを突破する時に一緒にいた仲間や時空は貴重で大切なもので、その積み重ねで人生の先が繋がっていくのだなと実感。

 

 

閑話休題、私の高校時代の友人に将棋の達人がいて、将棋など先を読んだり相手の戦略を読んで作戦を推論することが苦手な私は。将棋指しの人はみな凄いなと思っている。将棋の中身はからっきしな私だが、当時漫画週刊誌に掲載されていた将棋漫画には感動した。

 

刈田升三という役名で登場する人物が格好良くて、友人に尋ねたら、升田幸三という実在の人物の逸話だ、とのこと。棋士ならば、誰でも憧れる棋士とのこと。そう、羽生名人も指したい棋士の最右翼に挙げられていた。

 

それで、気になって升田幸三さんをエゴサーチ(そこは検索する。便利だ。)そこには数々のたゆまぬ挑戦に関するとても重みある名言が語られていた。

 

「新手一生」

 

「辿り来て 未だ山麓」

 

「昨年のままで結構 女房殿」

 

冒険心と謙虚さと配慮と優しさが胸を打つ。

 

天下の頂点に立っている、と周囲には見られていても、「自分自身には頂点が見えない」という、、、なんということか。

 

何度でも読み返したくなる。

 

私も御多分にもれず上記の言葉がとても好きで、音楽にも日中の仕事にも、日常全般でも心に刻んでいる。

 

升田 幸三の名言に関する 松本さんの記事

 

 

私は、下手の横づき、で演奏を続けている。続けなければ見えてこない世界があるんだろう、続けていればいずれ少しでも見えてくるものがあるだろう。でも頂上には行けないだろう。と捉えている。だから、マイペースで臨むのだ。

 

また、ジャズで言うところの「Swing」と「新手一生」とは似ているところがあると思っていて、一瞬一瞬に限界を超えて挑戦していく姿勢そのものが、創造を志す芸術・道の共通点なのだな、と捉えている。

 

娘も勉強や新しいことに臆することなく挑んでいくようになりつつある。なんだか嬉しそうに過ごしている姿が、自分事のように嬉しい。

 

帰って来ていつもと変わらずいてくれる女房の存在にも感謝である。

 

ジャズのアンサンブルでバッキングをしている時は女房役でもあり、新手のきっかけをつくりやすいようにする存在。ベースってそういう役かな。決まってはいないとは思うが。

 

人生には、喜怒哀楽を揺さぶることが色々あるけれども、万事どうやったら面白がれるかなと思って挑むことで、時間がかかっても次第に開けていくものなのかもしれない。